越境

今日は諸事情からレンジだけで夜ご飯を作った。すぐに生活を忘れる。特に問題はないけど、自分が欠けていると思うところ。レンジで豚こま生姜焼き、人参ピーマンのきんぴら、目玉焼きくらいは作れる。ということは、僕は料理を生活とみなしていないのかもしれない。いや、でも弁当は生活か。けど、これは仕事の昼食時間になるべく1人の時間が欲しいがためという生活とはあまり関係ないところにありそう。

 

仕事は随分と慣れてきた。それでも同期の方が凄いと思っているけども。何が凄いかというと、応えないというか、ナチュラルでそこまでできるのかと。別に見下しているとかではなくて、僕はこの仕事楽しいし、メカニズムとかシステムとかに興味はあるし、納得は単なる程度問題って分かっているけど、そういうのがなくてできるのは凄いなと。これが生活というものかと。ただ、まっさんは同期にかなり当たりが強い。貴方が問い合わせを調べていたこの30分は質問の内容を理解していない以上無駄な時間だよねみたいなことを言っていたが聞こえてきた。時間単位で働いている以上、生産性のない時間を過ごしているって言われるって仕事の評価として一番強烈だと思うけど、あんまり気にならないのだろうというところも凄い。まぁそこまでシビアに考える必要もないだろうけど。

 

地頭も良いと思うし、人を不快にさせないスキルは僕より遥かに高い。見倣っている部分。

 

まっさんは同期苦手なのだろうなと思うけど、これも観測範囲内での直感であって、別に僕がそれによって何か変わる訳ではない。観測範囲の情報での判断なんて更新する情報が現れるのが前提なのだから、そこで決めつけることはできない。無常。

 

先生は仕事場嫌いなのだろうなと思った情報。今日たまたま帰りのタイミングがニアミスしたのだけど、エレベーターを待っていると凄いスピードで向かってくる足音が聞こえてきて、誰だろうと思ったら先生だった。これも解釈は色々あるけど、今まで蓄積した先生情報が概念となって出てきた直感。あたるかあたらないかは別に問題ではない。

 

それを踏まえて自分の言動が変わるなんてことはあんまりないから。実生活だとほとんど求めるための発話をしないし。相手をコントールするための発話には、相手を知っている必要があって知っていることを前提とした言葉が出てくる。余剰ないし不測の言葉に感情が出てくることは多いけど、これって人が自分にとって都合良く動いてくれるっていうのが前提なような。相手を動かすことを目的とするなら、相手が気持ちよくなってくれるようする方が効率的。

 

ここも欠けているのか。

 

やれやれ。

 

自分の深みにはまっている。自分が誰かよりすぐれていることではなくて、自分が好きに言動するとはを突き詰めるという意味。

 

ただ、シュタイナーさんの自由論も仏教の苦しい論も他人が全く出てこないっていうのも書いたし、「それから」の代助も自他の境界が明確になっている。

 

これって、要は自分以外の人って恋人とか家族ですら自分の全てを決めるものではないとうこと。だからといって、他人を蔑ろにするかどうかはその人の「自分」に依る。

 

これって、なんか変な矛盾だけど、他人と繋がっているとか他人のこと思って行動しているっていう人ほど自分がないし平気で人を傷つける。繋がっているっていうのは、自他の境界が曖昧に等しい。自他の境界が曖昧ということは、他人が自分の都合良く動いてくれないと主観的に負の感情が出てくるということ。都合良く動いてくれない人に興味が出てくるのもしかりだと思うけど、こういう傾向のひとは境界の所であくせくしているようなイメージ。僕は都合良く動けない。

 

っていうを、古典を読んでいて思った。カラマーゾフの兄弟キリスト教を揶揄しているんだろうなと思うけど、かなりひどい。人の行為をその人の弱点からコントロールしようとする。それが宗教と言われたらさもありなん。そもそも共通神話が楽園からの追放だからなぁ。

 

原始仏教が楽しいのは、境界線を作ることが修行だとしているところ。苦が多いけど、この苦はあくまでその人のものという意味だろうなと。つまり、自分の苦と他人の楽は関係ないし、その逆も同じということ。今はニルヴァーナに入っている。解脱したとて解脱に執着していてはいけないとのこと。仏教の一番の敵は執着っぽい。

 

シュタイナーさんの快不快理論も、やっと腑に落ちるところまできた。

 

人が快と不快を天秤で比べるのは人生の目的とは関係ないどうでも良いところだっていう説。確かに。僕の中ではここを合理的思考って呼んでいる。

 

本当の快不快は、これを直に比べているのではなくて、欲求から間接的に比べてられているものだとのこと。つまり、求める結果があったとして、その過程に不快がいくらあると概算されても、求める快の方が高ければそこに向かうということ。欲求が全ての前提っていうのは分かる。快不快理論が個人的には分からんけど。

 

続きは次で。

 

 

おしまい。