のびきった発条

昨日からカラスの森が騒がしい。開発の工程が寝床を侵食しているのか、毎晩あんな感じだけど、日が落ちるのが早くなって帰宅するタイミングがかち合ったのか。まがまがしきニュータウン予定地。入居しようとしている人があの時間に見に言ったらキャンセルしたくなると思われる。

 

さておき。

 

なんとなくリズムを変えようと思って、昨日はリセット日。スーパーで讃岐うどんと天丼セットを買って帰ってすぐ食べて、シャワーも浴びずにごろごろした。シャツのアイロンがけをなんとかこなして、お祈りをして就寝。

 

リズムを変えると言っても、毎日同じ時間に同じことをしようが、円のように閉じているわけではなく時間は不可逆だし地球は公転しているから、螺旋のようなもの。ここに、主観的時間の流れと宇宙の拡大を含めれば、本当はリズムなぞそういう主観的な捉え方でしかない。ともあれ、あのまま行くと体調がなかなか大変になりそうだった。寝不足で頭が働かないところを無理矢理ドーピングして無理矢理理性を鈍らせて。

 

天秤で理性の方が重くなる、ここの日記に書いているようなものは、内側で勝手にこねくりまわしていればいいのではないかという至極まっとうな思想から、何も書かなくても良いのではという疑問が浮かぶ。天秤の反対は本能ではなくて、境界線を越えることへの無頓着。

まぁこれはこれで1つの自分の軸として面白かった。言語化できる総量は多い。

 

自分の中でだけだと、ある思考に対して本当にそれが正しいのかという打消しが出てきて、だからどうなのだ、ということになって最終的には誰なのだ、になる。こんなもの外にはどうでも良いに決まっている。投げ遣りなようだけど、これはこれで心地が良い。

 

どっちが適切なのかという両極端。僕にとって理性は、理性的に人と関係するというよりは、なるべく人と関係しないようにするというところにありそう。なんとも引きこもり。どちらも自分だし、どう見られても同じだけど。

 

 

というようなことで、しばらく11時くらいには布団に入って6時に起きて1時間と少しは知識の整理に使っていくことを予定している。日記時間には何が書けるかなという感じだけど、理性でもってもここでぼちぼちと独考するのはあまり問題がない模様。良き。

 

もう少しちゃんと寝た方が頭は回るだろう。

 

やれやれ。

 

無知の塔はなんとも地味になった。最新刊で買った森博嗣さんの小説が終わったから、小説はカラマーゾフの兄弟、それから、水滸伝というほぼ古典。あとは会計、租税法。刑法、数学、日本史、民事執行保全法、英単語、腰痛、神秘学。どれだけ消化できているのかは分からないけど、こいつらももう少し真面目に食べよう。あんまり地味じゃないか。

 

そういえば、理性の重きは他人を考察することも控える方向に働くか。本当にそう捉えているかというのは、それを踏まえてどのように振る舞うかの問題だから、自分が考察した相手と、相手自身は違うし、関係において振る舞う側が本当はどういう風に把握しているかは言語では捉えられないけれど、細々考察するのはなんだか無粋な気がする。こういうのは言語化の境界線のこっち側のもの。

 

そろそろ寝る体制に入るか。

 

新リズム1日目の日記終わり。

 

良い夢を!