誰の為
今日はなんにも用意してない。
夢は、また母方の親族が出てきた。あと蟲と。
不思議と父方の親族はさっぱり出てこない。これは好きとか嫌いとかじゃなくて、「空」の留めつつも囚われないみたいなところ。1つ下で高校も同じでよく遊んだいとこともさっぱり連絡は取っていない。僕は、父親と父の父である祖父とはもっと話したかったなぁと、そこそこに執着しているつもりだけど、あんまり夢には出てこない。父方の親族は、境界線がしっかりしている。多分、直に観測することに重きは置いてなくても、時々思い返してくれているのだろうなという感じ。
父方の直系の今のところ最後の僕としては、なんとなく思うところもあるけど、別に我が性継続しようというエネルギーはないという申し訳なさ。でも、家制度っていう強制がなければとっくに潰えていた家計のようにも感じなくもない。
夢は自分が把握している執着じゃなくて、もっと深いこびりつきを可視化させようとしているのかも。
さておか、ない。
今日帰りにブックオフ寄ったら、おじいちゃんのことを思い出した。
家が隣だったし、幼少期、おじいちゃんちは宝物の宝庫みたいだった。オロナミンCのシュワシュワとか、ヤクルトの甘みとかの味覚につられてところもあるけど、今思うと雰囲気が凛としていたところが好きだった。って、照合したら、ちょっと神社にある空気に似ていたなと。
あとおじいちゃんは、晩年永久機関を研究していて、自分で金属を加工して何か複雑な構造物を作っていた。というのは別の話。現物残っていたら僕が相続しているはずだから継承したいところ。
ではなくて、本棚にあった本をたまたま見つけた。脳内革命っていう本。色味と字面でずっと残っていた。立ち読みしたところ、脳をどう扱ってよりよくするのかっていう話だったから、おじいちゃんも何か自分自身に不具合を感じていたのだろうなって。この本は買わないけど、なんというか、血がなせる継承みたいな気がしなくもない。
僕が嫌な血の繋がりは、血が繋がっているからというだけで、相手のことを蔑ろにするとこであって、もっと内側にある血の業みたいなものはしょうがないかなと思っている。DNAでもなく。
超感覚世界でいうカルマだけど、この本だと個人的な業という話だった。修行が進んだ人は守護霊からメッセージがあって、お前の人生は全てお前の行動が起因しているのだって言ってくるだって。こんなの言わずもがなだと思う。
輪廻転生は信じていない。
もう僕は今世だけ良い。前世とか来世で同じ観念で生きたくない。
というのは、自己卑下と思わせて、これだけ色々できるのはこの肉体とこの精神とこの魂があるからだろうなっていうたまたまこの自分で生まれた有難さもあって。
常識とか当たり前とか自分を抑圧する方向に対して疑義を持てる人格で良かった。
ただ、これは誰もできることではない。才能があればどうとでもなるけど、僕には才能はなかった模様。才能がなくてもこの精神で生きられることはおすすめしない。
こんなの普通は攻撃に向かう。何か世界に攻撃できるとか怒ることができるってそうとう恵まれた人格だと思う。
完璧な自己肯定って、なにはともあれ、この自分は自分でしか生きられないって決められることでは。誰かに肯定されているからとか、誰かより上だとかみたいな相対的なことではなくて、ただ単に他人から完全に分離された自分をちゃんと生きること。
当たり前だけど、人って絶対的な存在だし。
人が日常ではないって言っているのはこういう文脈。
僕が愛着的な人間関係を嫌悪しているのは、愛着という括りから離れそうになると足を引っ張っぱってくる人いるところ。僕を日常とするなって。
自分がやっていることを、当人ができないから凄いって言ってくる人も苦手。貴方の劣等感の為に生きている訳でもなし。
純粋に凄いなら問題ないけど。
ほとんど自分語りしかしてない日記だけど、自分に浸ってないと自分のことは語れないでしょうっていうフレーズを思い出す。
確かに、分かる。
そういう文脈が全く含まれていないかって自問しても未分離領域かもしれない。
けど、僕は、自分の文章を読んでくれている人に対してすくなくともありがたいとは思っていない。読んだあとに何を想っているのが気になるくらい。
これって、どういう精神性なのかって思うと、対人間で言うと言葉って、読むとか読まれるとかではなくてその後に生まれる想念のが大事で、想念って文字化できないでしょうって。
で、ここで文字化しているものが、本当に主客同一の自分なのかも怪しい。
という文脈で書いていても、僕の飯のタネにはならないだろうなと思う。
多分、僕の文章がなくてもみんなつつがなく生きていけるだろうし。
まぁ素朴に考えると、人間関係自体が有料だとは思う。
有料の中身は、金銭だけではない。
てな感じでおしまい。
良い夢を!