月の美しさはどこからきているのか、と満月を見ながら考える。あっとうてきな美に対すると自分はどうでも良いなって、良い意味で。

 

正確には、月が美しいのではなくて、美しさを感じることができるができるのは何故かだけど。人間がって一般化すると、美どころではない人も居るだろうし、月に美を感じない人もいるだろうから、主語は「自分」とするのが適切かもしれないけど、少なくとも月に美を感じる人間は僕だけではない。

 

ということで、美に対する考察。

 

最古の学問は哲学だと言われている。あくまで僕の解釈だけど、根っこは生活とは関係ないところに思念が及ぶのはなんでだろうみたいな疑問が最初にあった。概念とか一般化が始まる訳だけど、最古に近いところに、美しいと感じるのはどこの器官だろうっていうがあったはず。きっと音楽も近い。音楽は波だから分かりやすい。自分に合う振動と合わない振動。

 

んなことを考えながらスーパーまでの道のりを歩いたのだけど、まず、色彩に対する受容体がなんでこんなに多いのかは謎だよなぁって。生きるための為には、色はそんなに多くなくて良い。実際色の種類は人それぞれだと思う。多ければ良いってことはないけど、見ることができる可能性の話。色盲の人の人生は彩られていないのかっていう訳でもないし。要は、なんでこんな枠があるように設定されているのかという話。

 

美が良いなって思うのは、美って凄く個人的なところ。黄金律とか、美しく感じやすい造形みたいなものはあるのだろうけど、そういうことではなくて。自分がなにかを美しいと感じるとき、それは僕のものであって、それは利己的でも利他的でもないこと。

 

別に言語で表現しなくても良いし、他人に伝達できるものでもないから、伝わらなくても気にしなくて良いし、大事に育てると良い。センスがないとか関係ないし。

 

利己的でも利他的でもないことに傾注しているのは、これが何の動機にでもならないところ。動機がないのに勝手に感じてしまう自分はほんとに誇ってよい。

 

こういうところが人間の可能性だろうなと。

 

前編終わり。