フェチ

 

 

今日はぼーっとしていた日。

 

とはいえ、1人で過ごす日は病気でもない限り本は読む。二日酔いとか関係ない。夜更かし癖もきっと今日まで。

 

そういえば、台風はどうなったのだろう。

なんとなく風が強くなっている気がするけど。

 

 

そうして、ぼーっとしていたから特に文章も用意していない。

 

 

承認してもらいたいじゃなくて自分を承認したいというフレーズは、自分を突いている。これは僕がほんとにおかしい。こんなの精神疾患には認定できない、ただの向上心と評価されるだけ。自分の位置を高めるための努力と言えば聞こえは良いけど、ただ、もっと広い世界が見たいのだってもがいているだけ。でも、これで自分嫌いになるかというと違うのだけど。過去の自分の体感から今でも吸収できるところはいっぱいあるというくらいには自分を見ている。結局好きかよっていうことではなくて、入れ物はこれしかないっていうだけ。自分だけは絶対的に観測しないといけないだろうと。

 

自分と他人には、どうあがいても避けられない境界がある。

だから人は他人と同一化したがるのだろうなと思うけど。昨日の日記でも書いたけど、人と関係している時にはなんとなく生きているという実感があって、この実感に抗うのはなかなか大変なこと。そういう現象が日常的に起こるものなのかってなると微妙なところ。人を楔にするか人の楔になるか。

 

自分の理でしか人を見ることはできないけど、その理が正しいのかくらいは内省した方が良い。

 

 

あと、言葉の操作性の話で、言葉に対する不信感満載のようだけど、翻すと言葉だけの更新で現実的な好意になるって、かなり言葉を信仰していないかって思った。

 

 

眠い。

 

 

僕は手とか足とか耳とかのフェチなのだけど、これって末端フェチだろうなって括ると、言葉も人の末端だろうなってなって納得した。末端にこそ本質が宿っている。

 

人の末端に触れたい性癖。

 

 

短いけどおしまいで。