迎合(前

今日の食卓も贅沢ではある。600円くらいはしているはずに。ナムルの残りとつけ盛りの続き。加えて、88円アボカドの半分とミニトマト3個のごま油と粗塩和えと、フリルレタスと三個パックの豆腐1個分サラダ。で、今日のご飯の七割くらいを占めるおつまみ缶。ムール貝の白ワイン煮。うまい。

 

贅沢ばかりしています。

 

現実離れしたことばかりじゃなくて、少しは真面目なこと書いておこうかな。

 

全然関係なく、明日は掃除機買いに行こうかと思ったら、そういえば、増税前の駆け込みぽいなって思って。最近やたらと家とかマンションとかが建っているのもそういう下りかと。まぁ仕事もこの関係で忙しくなっているし。これもそういえばというレベルだけども。

 

そもそも消費税とは、って考えると、なかなか不可解ではある。まだ年貢の方が分かり易かったかも。贈与税相続税は年貢に近いものがありそうだけど。

 

まぁ考えようが考えまいが、結局払わなきゃならないものだから、思考停止して良いと思う。思考経済上のショートカット。他に考えなきゃいけないことはいっぱいあるだろうし、という国家政策。

 

租税法の本を最近やっと読み始めたけど、租税法の歴史自体、凄く浅いらしい。まぁ法解釈でなんとかしようっていうのがなかなかなじまない分野だろうし。法律学って事後的なものだから、立法機関が作ってしまった税制が不当だとは言えなさそう。

 

税金とは、社会への参加費みたいなものだっていうパンフレットを見たけど、参加したくてした訳ではないっていう素朴な感覚を度外視していて、なんとなく宣伝が下手だと思う。いや確かに、社会保険料とか住民税はなんとなく分かる。使い道が直結はしているだろうし。所得税も、所得を得た環境を作っているのが国だっていう意味では、なんとなく分かる。

 

でも、消費税の観念って、素朴に考えてもなかなか納得できないと思う。選択した商品とは関係なく対価が上乗せされて、そのお金はえこひいきした企業には全く流れないという不合理。依怙贔屓じゃなくて、自分が払うお金が増えるのが嫌だっていう素朴な感覚に対しても説得力がない。3パーから5パーになったときも、5パーから8パーになったときも、生活の豊かさは全然変わらなかった歴史があると思うけど、なんでこうなっているのか。

 

 

でも、法人税なら、租税法は機能すると思う。相続税とか贈与税も、企業くらいの資産を持っている個人に税金をかけましょうっていう話であって。

 

消費税も歴史上の、年貢に係らない特権階級を優遇しているに近いけど、富裕層の方が高い買い物をするから、平等という見解もなんとなく分かる。

 

けど、経済の活性化は一瞬しかないだろうなぁ。駆け込み需要だけ。

本当に大事なのは、生きていて良いのだって思わせながら経済活動を活性化させるために、細々した税は撤廃させて、上りだけ徴収するしたたかさでは。

 

政治家がへたくそなのかなんなのか。

 

なんとなくゲーム理論になじみそう。

人がやすやす死ぬゲームだけど、そういうこと。

 

前編終わり。