言わなくても良いこと

「人間よ、君の心の深間を極めた者が1人でもあったか?」・ボードレール

「われわれは自由の刑に処せられている」・サルトル

「われわれは意味の刑に処せられている」・メルロ=ポンティ

 

雨が降っていると弁当の食べ場所が困るのだけど、火木以外であれば行政機関が図書館に併設している情報センターで食べられる。今日行ってみたら盆栽展示会が開催されていた。

 

盆栽もなかなか良い趣味。作られた自然っていう矛盾の世界。華道と通じるところがあるような。解説している人が居て、こういう方向で生えると「優しくなる」みたいな哲学的見解。

 

確かに展示されている植物は植物なのか創作物なのか分からない物質だった。綺麗ではあるけれど。気長な趣味で良いかなと思ったけど、展示するために複数制作していて、自分の意図に一番近い物を持ってきているとなると、なかなか話は変わってくる。気長な訳ではないから。

 

優しさを客観的なものにするのはだいたいおかしくなるのが世の常。自分が感じる優しさを、他人も優しいと感じるべきみたいな考え方は、凄く自己中心的。

 

「言葉と意味」でみたけど、こういうのは普遍概念って言うらしい。僕はマジックワードとしていたけど。自分にとっての普遍概念は問題ないけど、普遍っていうのは満遍なくだから、自分が感じたように相手も感じるべきになると世の中しんどくなるわなと。これは局所でも然り。

 

普遍として繋がりそうな言葉っていっぱいある。例えば、可愛いとか。個人的にはもっと使いたいのだけど、僕がその瞬間にそう思っただけだから特に他意がないという主観。ぶーぶー言うのが可愛いなとか、表明した時点で何らかの意味が出てきてしまう。この意味において取集しようとしている自分の衝動も観察できるから余計に表明はできないよなと。

 

現実の職場環境で好ましいって思ったとしても表明する機会も意味もない。言ったことによって相手の振る舞いが変わることまで意図していないし。僕が勝手に思っているだけでええかなと。忘年会があるらしいから、その時はどうなるかわからない。

 

好意を表明したい気分と、表明したら相手が変化してしまうかもしれないという気分のどっちが勝つか。

 

 

お酒を飲んだら道徳規範が取っ払われて、自分ルールが適用されるっていう研究結果があるらしいけど、確かに他の道徳理論を参照しなくなったら、飲んでも全然何もない。

 

飲むほど性欲衰えるし、酔って話していたのは相手に合わしていたのだろうなと。

話した方が良いのかなって思ってくる。泥酔したときひたすら家に帰ろうとする方がやっぱり本質だった。泥酔状態でどれだけ歩数があるか。

 

人と接したくなくなる。

多分恋人でも無理なんじゃないかな。

 

厳密には自分ルールではないのではと思わなくもない。空気に呼応しやすくなるってだけなような。こんなのアルコールがなくても勝手に世の中酔っている。

 

要は、1人で酔うことに価値があるアルコールと盛り上がる為のアルコールでは意味合い全然違うというだけ。

 

 

まぁ、だからこそ人と関係する意味があるとも言える。

 

 

 

皆ちゃんと睡眠時間を確保できてますように。

 

 

おしまい。