がーがー

 

 

大根の葉っぱは所々黄色くなっていたり溶けかけていたり大変だった。葉物は悪くなると溶ける。何度も洗ってなんとか炒め物に。味は美味しい。柿も今週のうちに食べないと溶ける。食材を所有するのはその時間制限を所有すること。いっぱいあればいいものでもない。

 

今日のご飯味つけ濃い。

 

 

人は一生で3500冊くらいしか読めないという見解を見た。僕は今どれくらい読んでいるのか。概算1000冊前後くらいな気がするけど、実際のところあんまり冊数気にしていないから分からない。漫画本も含めるのか、誰かが書いた文字とするのか。だから冊数換算じゃなくて、文字数換算で考えた方が良いような。110万文字としたら、億単位が通常ってことか。個人的には京単位ぐらいまでいきたいところ。

 

 

ともあれ。

 

 

何について考えよう。

 

 

十二国記ネタバレ考察とか?

前半2冊目に入った。このペースなら次が出るまでには読み終わるかなという感じ。前例がないっていうのがキーワードだと思われる。あの世界を決めている基準って天意だけど、天意が判断できないところに対してどうなるのか。別にネタバレにはならなかった。

 

他の本もだいたい楽しいのだけど、僕の「楽しい」の観念は随分ズレてきたなと。楽しいって心が弾むとか、誰かと共有したい出来事みたいなところかと思うけど、僕の楽しいは自己完結している。

 

古事記音読している繋がりで、この前の祝日、白い虹が出たらしいね。聖書にも虹の記述があるみたいだし、天変地異みたいな現象も続いている中でなかなか興味深くはある。この現実世界にも天意と言うか神様と言うかは自由だけど、大きな流れがあって、文明社会はあんまり役に立たないという。クロノトリガーを思いだす。ゲームも捨てた物ではない。

 

今、ヤマタノオロチの話が終わったところだけど、このエピソードは治水工事だっていう説

はなかなか興味深い。ただそうだとしても対価としてスサノオは嫁を娶っているし、なんというかなかなか。でも、男尊女卑社会なのかというと、現世で一番上の太陽の象徴が女神だからなんとも。月読は男なのか女なのか。

 

現実的ルールが天意より合理的なのかっていうと、そうでもないだろうなと、法律やっていると思う。人間が創ったルールなのだから、苦肉の策であって努力し続けないといけないのだろうけど、法律を道徳規範にするのはおかしいと思う。行動規範にするのは問題ないけど。行動ルールは現実の側面で道徳ルールは内心の側面。まぁ道徳も行動を求めているけど、道徳のややこしさは、こう行動すれば良いではなくこういう内心を持つべきで、この内心を持っていたらこう行動するのが当たり前だよねと察しろみたいな、ヤンデレ感がある。

 

人が何に影響されるのかっていう議論とか学問はいっぱいあるけど、社会が許しているからうんたらかんたらとか。でも、道徳の授業は義務教育でほぼ全員やっているはずだから、人が社会に影響される理論だと、とっくに平和になっていないとおかしい。

 

僕の成長譚で読み取ると、道徳は建前で本音の方が家庭とか地域とか血縁とかで先だから、こっちの方が先に習得される。どうあっても初めてのインパクトの方が強いから、なかなか拭えない。他人に怒りをやたらと発することができる人ってほんとは自分のことが一番嫌なんじゃないかと思う。

 

そういった原初の自分を壊すためには、なんてことは書けないな。僕も消極的死にたがりだし。どれだけ壊してもやっぱり結論は変わらないということが分かるだけ。

 

 

やれやれ。

 

ただ、そんな精神とは関係なく現実をルール付けることはできる。睡眠時間を一定にするとか、栄養素は満遍なくとか、無駄にカロリーを取らないとか、毎日本を読むとか。

 

僕がうつにならないのは、自分の精神と肉体をある程度切り離せているからだと思われる。休みの日の方が早く起きるのはなんでか知らんが。今度は休日をどれだけ充実させるのかという話になってくるな。

 

 

ということで、おしまい。

皆がぐっすり寝られますように。