たかが可能性如きで一喜一憂する、感情とはなんとも不合理でご都合主義。だけど、それが自分を画する。無駄に半端なく切ない気分だけどこれはこれで良き。

 免疫学的に言うと深酒した次の日は免疫バランスが悪い方向に偏るらしい。顆粒球が優位になってリンパ球が減って云々。ただ、僕としてはこの状態は肉体的自分と最も一致した状態と感じる。甘い物が欲しくなるし空腹だし、変な話、性欲も旺盛。水すら受け付けないほどほんとに飲み過ぎたら物理的自分どころではないけど、ビール3リットル程度ではそんなところまではいかない。3年前くらいに電気ブラン飲み過ぎた時くらいか。甘いものは体が悪い時に欲しくなるし、あえて1人で食べるものでもない。

 休みの日こそ動けという衝動から、少し遠出。京都も随分近くなった。距離間って物理的な距離とあんまり関係ない。背景。梅田なら家を出てから30分ちょいで着くのだけど、あんまり行きたくなくて、近隣府県の大型書店を探していたら(誇張、京都一択だった)、丸善が出てきて、なおかつ梶井基次郎展がやっているとのこと。梶井基次郎さんには思い入れがある。遠距離で、交信しながら図書館に行って、同じ本を読むというデートでたまたま目についた本が檸檬。とてもよろしいまぐあいだった。

 という精神で阪急河原町に着いたら、ふと、そういえば大学時代、高校のクラスメイトだった京都女子大学に行っていた子とデートに行ったときに降りた駅だったということを思い出した。なかなか合流できなくて、散々迷って合流したとき、やっと会えたって呟いていた。見た映画はミリオンダラーベイビー。この人とは特に何もなくて、最終的に恋とは何ぞやという恋愛相談にのっていた。幸せになっていると良いけど。

 そうして丸善梶井基次郎の直筆原稿は、はっきり言って全然読めなかった。けどなんとなく魂は読み取れた。「不吉な塊」が不吉な「魂」に誤植されていた本もあってそれは面白かった。どちらでも意味は分かるけど、語感としては塊の方が圧倒的に良い。こういうのが天才のセンスということなのだろう。にやにやしていたと思う。

 哲学本も買うつもりだったのに、法学ゾーンでお腹いっぱい。4冊1万5千円。重量も凄い。会社法行政法と契約法と憲法。ビニールの袋じゃなくて、買い物袋に使えそうな丈夫な袋に入れてもらえた。中身の話は省略だけど、本程コスパ良い対象はないと思う。どれくらい人生の時間が潰せるかという意味で。

 で、三条が近かったら、帰りは京阪にしようと思ったら、そういえばこの辺って去年も来たところだなと思い至って、巡礼しようという衝動。直近の元恋人さんとご飯食べたところもあるし、初めて演劇みたところもあるし。こうやって、場所に自分の記憶を積むことが生きていくことなのかなと。いちいち生生しくて困るけど。この困りは、自分が一枚岩ではないと観測していることに等しい。

 出町柳の鴨川デルタで見た光景が可能性的切なさの原因。青いパーカーを着た寒そうな女性とコートを着た男性が何かのご飯を食べていた。その女性のルックスが僕の想い人と似ていて、もちろんそういうことがあるだろうということも知っているし、だから好ましく思うのだということもあるけど、感情が出てくること自体はコントロールできない。ほんとうにそうだったとしたらなかなかの縁だけど、可能性がすべて。

 

後編は、僕の過去語りになる予定。