思考の坩堝

避難所

無気力のすすめ

 日曜はとても無気力。早朝、セロトニンのために朝の空気吸うついでに飲み物を買いに外に出た。デカビタとはちみつレモンとコーヒー。買いすぎ。ほんとは昼間にシーツ洗濯して布団干したかったけど、日曜の自分にそこまで望むべくもなく。自発的無気力は悪くない。ねじは定期的に緩めた方が良い。自覚しながら動くととてもエネルギーを使うなぁと思いながら服の洗濯をして弁当も用意して、本といちゃいちゃして、まぁまぁ上出来。自分嫌いとか言いつつ、なんだかんだ馴染んでいるのである。

 なんだかざわざわするのも日曜。明日からの平日の準備ができていない気もするし、勢いに任せて言葉を投げた反動もあるし。別に後悔はない。可能性的世界だと結果は関係ない。はた迷惑なことこの上ないが。今日のざわざわの原因は、きっと本屋にある。十二国記3巻が昨日終わったから切れた蛍光灯を買いに行った帰りに本屋に寄った。プラトンも誘ってきたし、ロボットインスクールだっけ。デボラインストールという作者が書いたシリーズ三作目。あの本屋でしか見かけない気がするけど、なかなか面白い。ポンコツなロボットとポンコツな男の人がかわいらしくて。しかし、どうしようもなく惹きつけられたのは、ウェルベックのハードカバー。タイトルは「セロトニン」。ハードカバーだったから遠慮してしまったけど、ずっと後ろ髪を引かれている。たぶん近いうちに買う。別に入眠ホルモンが活発化するようなことはなくて、寧ろ暗そうな話。冒頭から抗うつの錠剤の描写で、たばこはドラッグだとか。主人公は46歳で、過去の女性が登場するとかあらすじにあったけど、ストーリーというより文体のリズムが今のバイオリズムに合致しているような感じ。きっと相性が良い。

 無知の塔がまた高くなる。今日憲法学読本が追加されたのに。惡の華水滸伝十二国記が最後の3冊なのだけど、なかなかバランスが良い。惡の華の言い回しいはところどころ響く。水滸伝十二国記を並べるのも趣がある。水滸伝の世界は現実の歴史がモチーフだから当然性欲が存在するし性描写も結構ある。戦時っていう危機的状況だから活発化しているのかもしれないけど、村上春樹並。でも、十二国記の世界も戦時だけど、子供は木から成るから、そういう描写がまったくない。犯罪もあるしほとんど現実と変わらないのに、そこだけぽっかり抜けていて、なんだか不思議な感覚。最後どうなるのだろう。

 1つの物語をしみこませた前後で人格は変化するのか、とふと思いついたけど、変化はしているのだろうな。僕はとても影響を受けやすいし、特に。昔は文体のリズムまで似てくるっていうこともあったけど、今はない。文体が確立したということもある、のかは知らないけど、並行読みの影響もある。あれ、並行読みしだしたのっていつからだっけ。3年前にはまだだったような。時間の尺度が相対的だから、物理時間に換算できない。だって、例えば本を11時間読んでいるとしても、1年で365時間、これって、15日ちょいしか接していない。人に対してもこうすると、1年経ったけど接したのは数時間みたいな。ある意味厳密な数え方だと思うけど、それほど細かく数えてられないから、物理時間に引き直すのか。

 ともあれ、今日の精神はもう平日モード。精神も波みたいなもので、こうやって定期的にバランスを取っていくと、最終的には機械的になるような気がする。機械的なことが悪いとも思わないけど、自分が思った通りに自分を動かしたいという欲求はまさに自分の機械化。まぁ言葉も波だし、波と波がぶつかったり共鳴したりで世界が成り立っている。自分も結局は波の瞬間的観測でしかないとも言えなくもない。

 さて、来週の土日は何しようかな。連続京都はバランス悪いから、滋賀、奈良、和歌山のどれかを目論んでいるけど、その時の自分に任せよう。波まかせ。ちょうど良い時間になってきたのでここまで。

 

 自分以外の全宇宙がほどほどにみたされますように。