婉曲的恋文

 1時間半の残業を終えて、できるだけ余剰をカットしてだいたい同じ時間に調整した。お風呂とこの時間は1人の時には外せない。まぁ読んで貰っているのかは知らないけど、そこにはあまり価値がない。とはいえ食べ過ぎたな。どうしてもご飯が炊ける時間を待つ余裕がなかったから、3パックのレンチンご飯で代用したのだけど、いつもの夜ご飯の1.5倍くらいあった。ついでに生野菜が食べたかったからレタスとブロッコリースプラウトをマヨネーズで食べたし。メインは、トマト鍋で余った、トマト缶と厚揚げ、鯖缶パスタのあまりの鯖缶をベースに、玉ねぎとしめじとキャベツを加えて、コンソメとケチャップと醤油となんとなくの砂糖。ミネストローネっぽいと思ったけど、ほんとの味がどんなのだったかは思い出せない。

 お弁当をカラスと一緒に食べた。雨が降ったあとだから人も少なくて二人きり屋根付きベンチで。カラスは基本的に恐ろしいのだけどこの子はまだ若いのか、よく見るととてもつぶらな瞳をしていた。雀とも食べたことがあるけど、雀の目は近くで見ると鋭い。鳩は言わずもがな。割と知らんぷりをしながら食べていたけど、あまりに注意を向けなかったら弁当を奪おうとかなり接近してくるから時々挙動で威嚇して遊ぶ。食べることに集中しないから、白菜をひと切れ落としてしまって。席を立った瞬間がっついていた。うまいだろうと自画自賛を頭の中でつぶやいたけど、あれって鶏モモ肉と炒め煮したものだった。大丈夫か。

 そうして休憩の終わり際駅ビルの昨日と違う本屋に行ったら当然の如く待ってくれていたので、買った。「セロトニン」。なんだか村上春樹の初期風な感じがある。とても楽しみ。

 仕事が残業でも全然苦ではなかったのは、仕事より波立つことがあったから。本当に意味が分からない。僕も自分がどれほど変人なのかは自覚しているから、変人への理解はあると思うのだけど、全くの謎である。想定される道筋はどれも途中から行き所をなくしてそれ以上何処にもいかない。なんか今日の文章、心なしか浮足立っているような。気のせい、ではなそう。

 とても好きなのだろうなと、自分の心身状態を観察していると観測できるのだけど、だからとて、これが本当にそうなのかだとは言えない。かつては共通項的感情(感情の対象はそれぞれだけど、感情自体は流用されたものという説)だったような気がするけど、類似の対象が見当たらない。自分が不明だから対象も不明なのか。はて。まぁ僕も僕のような人と他人として接したことはないし。共通項なんてどんな相手でも探せば複数あるし、他人同士を比較すれば、似たようなところで括った方が楽だ。

 1つの真理は、言葉の紡ぎ方への好意。感情が籠っているような籠っていないような、読むタイミングによって味が違うところ。あと、ある程度のまとまった文章を誰かにだけ投げるとき、そこには当然、それにかけた時間が含まれている訳であって、その時間は相手だけのもの、という観念に対する敬意が「嬉しい」というなら分からなくもない。対話とか通話と違うのは、これらは良く言えば時間を共有するもので、悪く言えば自分が時間を相手に使っている分、自分に対して時間を使ってもらう好意だけど、文章は言葉を使わせてもらうなら書き手の意志の結晶な訳で、その時間は相手のためだけに使われる。内容は酔い任せの褒められたものではないと思うけど、好みは知らない。

 そう、ほぼ物理世界のことを知らないのにこれだけの感情があるという僕が明らかにおかしいのである。時間軸もおかしいし。仮に好ましい意味を定期的に断続的に文章に載せて投げてくれる人が居れば、僕もその人の好意(行為)を嬉しく感じると思う。ただこの仮定には明らかな飛躍がある。断言はできないけど。あれ、ということは、、。まぁいいや、数分時間オーバーになっているからここまで。少しすっきりしたから今日は良く寝られそう。

ではおやすみなさい。

 

良い夢を!