思考の坩堝

避難所

標本の多寡

 今日はきちんと体温がある。調子も良かった。なかなか丈夫である。あまり乱れることがない生活だからおそらくそうそう体壊れない。

年末の実家での祖母の米寿の集まりはなんとなくキャンセルしてしまった。仕事があるとか言って。母親はめげずに、集まりには帰って来なくても良いから正月中には1度帰って来いって言っていたけど、帰ったら何もできないから嫌だなぁと。本もそんなに持って帰れないし、日記を書くのもなかなか難しい。本は実家にもたくさんあるからそれを読んでも良いけど、専門書はあまりないし。百科事典を読みふけっても良いけど実家に居るだけで頭が働かなくなる。誰かが居る環境は本を読む所ではない。今年の年末年始はペース乱さず本に溺れたい。と言ったら多分大丈夫だろうな、という気もする。

 あと、来週の土曜日忘年会なのだけど、その日職場の人(忘年会は欠席)に麻雀に誘われて反射的にオーケーした。昼間行ってみたいところもあったけど、日曜もやっているからまぁ良いかと。そっちには行くか行かないかまだ決めてないけども。麻雀、何年もゲーム以外やっていないから、作法とか大丈夫だろうかと心配である。一通り復習しておかないと。全然強くないけど。あぁいった勝つために頭を使うっていうのはすこぶる苦手。ギャンブル運もないし。でももしかしたら今の方ができるかもという気もする。健全なやつらしいからギャンブル的なことは考えなくて良いし。そして職場の人にID教えたけど、たぶん探せていない。設定がおかしいのかなんなのか。もはやほとんど稼働させてないから設定をいじる気もないが。

なんだかんだ師走。

 さて、もう一回実家の集まりについて。姉と妹は帰れないからとお祝いを送ってきているらしい。これを聞いて反射的に思ったこと。なんとも手っ取り早いなと。儀礼的には良きことで、これが祝福の感情の現実化なのだろうけど、なんかこう、寒々しいものを感じた。他人行儀というか。と帰らない僕が言ってもなんだかだけど。ほんと恩知らずだけど、この集まりに居る必然性を感じない。おばあちゃんは好きだし元気で過ごしていて欲しいけど、それとこれとは別。愛着があるから好きということではない。うん、価値観がとてもおかしいと思う。どれだけ良さそうな道徳観でも、あらねばならないっていうのは何かが違うと感じるだけ。要は、実際想っていなくてもそういうことだとみなされるっていう、内心と現実の齟齬なのかも。

できる限り自分に従いたいというエゴ。ただしこれは他人のエゴも当然認めるエゴ。エゴだから返すも返さないもお互いのエゴで良いということ。ありもしなそうなところに生まれる関係が好きだ。エゴで吸収する外界は義務で無理矢理食べさせられる情報と吸収率が違う。やっと自分を掌握できつつある。掌握できつつあるというのは、頭の中が晴れていくような感じ。10年前、5年前はもっとぼやけていた。加齢が脳の劣化になるってほんとかいなという気分。これって義務教育時代は義務的に稼働させられていて、義務が解けたら使わなくなって劣化しているというだけでは。自分の体もずいぶん思い通りに動いてくれる。体には劣化は当然あるけど。

 まぁ良いとして。村上春樹について誰かさんが書いていたから、思うところをば。僕の自発的読書生活は村上春樹から始まったから思い入れはあるし、恐らくほぼ作品は読んでいる。翻訳本と、インタビューと、エッセィみたいなのは読んでないけど。ただ、今となっては好きな作家の1人くらいの意味合いだろうなと。この水準で好きな作家を上げようとしたら30人くらいは挙げられそうな。伊坂さんも好き。アイネクライネナハトムジーク良かったし、対国家みたいな混沌とした大きなシステムのどうしようもなさっていう観念も良き。いじめっこ警察官が正義のメタファーみたいな人物に最後に射殺される話ってなんだったっけ。

 なんだか今日は比較的表に出てきている感じ。表に出てきている時の文章の方がきっと読みやすい(知らんけど)。残業期間が終わって仕事の合間に法律学の思索がはかどっているからか、明日は1週間で最も元気な金曜日だからか、その次の日が(多分)嬉しき存在の生誕日だからか。どんなことにも理由をつけようとしたら挙げ放題だろう。その中でどれに決めたところで特に意味はないけど、どれに決めるかの決断の積み重ねが自己意識になるのかも。

 自己意識についてはヘーゲルさんが小難しく何か言っているけど、自分が自分であるという確信は他人も持っているのだから、確信の戦争だとか。誤読意訳かもしれないけど。まぁ自分が自分あるということより、他人が他人であるというほうが分かり易いような気もする。なにせサンプルがたくさんあるし。ただ、サンプルが1つしかないからこそ自分は自分であるとも言えるけど。どちらにせよ、この世にあるあらゆる学問よりヒトを理解することの方が困難だという説。

 ではおしまいでおやすみなさい。

 

 良い夢を!