思考の坩堝

避難所

自他

 水炊きうめぇ大根うめぇポン酢うめぇ。なんとなく残っていた長ネギの青い部分と一緒に大根を出汁で炊いてみたけど、効果はさておきうめぇ。野菜はなんでこんなに美味しいのか。まぁ鶏肉も美味しいし、舞茸も美味しいけど。水炊き食べつつレタストマトサラダも食べていて、トッピングのチーズも美味しい。ともあれ明日は午前中に歯医者の定期健診だからほどほどにしておかないと。抜歯がある訳でもないし酒臭くなければ大丈夫か。

 ちはやふるに集中していると頭の中で文字が氾濫してきた。吐き出さなければ。昨日のサンプルの数は他人の方が圧倒的に多いっていうのは、書いた後、厳密にはそうではないなと思った。他人は有限だけど自分というサンプルは無限だろうなと。もちろん、自分を絶対的な1つと見ればそんなことはないけど、細分化しようとすればいくらでもできるという意味。僕は実感として時系列ごとの自分の意識がいちいち出てくるから、自分は一枚岩ではないなと思う訳だけど、普通の人は、今の自分で1つとして過去の意識はねじ伏せるのかな。

 いやはや。声が多くて困る。幽遊白書を見ながら。まぁ良いや。寝起きって身体感覚が薄いから、なんとなく人肌が恋しい。恋しいというのは現実じゃないから良き。現実感が薄いからこうなるのかなんなのか、現実とはなんぞや。僕の現実感は、誰かと何かを共有することではなさそう。というか、現実は無いとしているか。

 現実を無いものにして、何か弊害があるかというと、特にない。行動が社会から外れない限り、内面でどうなろうが問題はないし、僕の変人性は日常世界には漏らそうとしない限り漏れないし。他の人って何をもって現実としているのだろうっていうのはとても気になるから探ってみたこともあったけど、現実とは社会的ルールだ以上のものを提示してくれた人はいない。別に自分探しをしている訳でもなく。僕の中では探しても無駄で観察するくらいしかない。

 現実にあえて依拠しなければいけない意味も不明確。例えばしんどいこと理不尽なことを現実として、楽しいことを非現実にして区別するという方向なのかもしれないけど、どちらにせよ物理世界の話だから、恣意的に物理的現実を分けているだけでは。自分が動かせないことを現実とするなら、それは自然と等しい。明日晴れかどうかはコントールできないと同じ意味なの。

 というところから捉えると結局現実って、当人が現実としているかどうかに還元されそう。日常を過ごす自分が主人公か登場人物かくらいの違いしかないような。身体感覚こそが現実だっていう捉え方も、自分の過去の痛みって現実として再現できるのかって問われたら難しくないか。例えば口内炎。もう1つ例えば寒さ。寒さは今の自分しか感じられない今の現実だけど、それを後から掘り返せるか。再現なんてできない。だって、これって自分のいまを守る身体感覚でしかないから。

 そうして、まともに現実を過ごしている人が自分の体からのメッセージを見逃して当人の現実感覚だけで過ごしてメタボとか生活習慣病になる訳で。こういう意味でも現実感は信じられない。習慣って生物的なものと変わらなくて、条件付けでしかない。これの効用は、動作をすることが無意識化できることで、考えることのショートカットができる。考えるって基本的には人にとって負担であるらしい。いったん決まったらあとはオートマトン

 現実とは無味無臭の機械作業というなら、その人はきっと現実を生きていない。僕も特に生きていないけど、ちゃんと意志で体に悪いことをしている。野菜と文章ばっかり喰っているから一向に健康だし、個人的には砂糖が一番やばいと思っている。ホットケーキの生地うまみ。米の美味しさも甘みにある。人工甘味料はもっとやばそう。なにがやばいって、カロリーは無くても、味覚を狂わせている訳で、健康上は知らんけど、味の感覚はぶれそうという意味。甘みってコーヒーにもあるからなぁ。

 お酒で言うと消極的アル中なのか積極的アル中なのか。僕は現実のストレスで飲んでいる訳でもない。週二日しか飲まなくなったからある意味自分から離れるためのもの。お酒も飲まないで断続的に自分で居られる人って凄いと思う。酒飲みなら分かる感覚なはず。自己意識から離れたくなる。結局離れられはしないのだけど。

 まぁ、断続的な自分を当たり前の自分にする感覚も分からんでもない。酔った時の自分を自分じゃないとするとか。僕は全部自分にしている。自分が思っているよりそんなに生生しくはないようだし。酔ってすら生生しくないってなんだろう。生生しくて危険物だって言われた経験は1回だけあってよく覚えている。正論過ぎて。

 要は、誰しも自分の世界から見た相手っていうフィルターで見るしかない。これは経験則だから特に疑義はない。人を想うってまるっきり全開でもないし。ないのに想っていると思い込める。のが恋愛感情だから良き。フィルターが無く他人の思考回路を想えるのは、小説の登場人物くらいな自分に無関係な人のこと。現実的な関係においてはいやおうなく自分の方が大事でしかない。

 これって、相手のことを考えられる人程他人のことをどうでも良いと思っているっていう、矛盾。僕は自分も他人もある意味どうでも良いと思っていますっていう証左なのよね。

 どうでも良いの定義次第だけど。僕のどうでも良いは、自分に利があるからどうでも良いじゃなくて、自分の利がどうでも良いっていう意味。利って何ぞやっていったら、気持ちとかそんなことはどうでも良くて時間でしかない。時間をかけても良いと思える人にしか自分を使っていない。

 もうちょっとあった気がするけど忘れた。

 

 では。皆さんが自分を見失いませんように。