見えるもの

 危なく十二国記の残りをひと息で食べてしまうところだった。こういうコントールってあれみたい。昇天のタイミングを調整するみたいな。別に誰も制限していないけど、絶対的な時間制限というものがある、同じくらいえこひいきしているもの。質的には比べられないけど、有限の時間の中ではどれも場所を取らなきゃならない。最後の一章は明日のデザートで。

 文字を追うにも段階がある。目の筋肉が温まると目で追っているという意識もなくなって言葉は直接脳内イメージに変換される。もうそこに自分は居ない。現実に立ち返って物質を見るとしばらくだけど、逆に言葉に変換される。言葉が無ければ物質も区別できないよなと。瞬間で知覚している物に対して「これ」という認識はできるけれど、言葉で分けられないものは全部それだから、通り過ぎるものでしかない。もちろんそれで構わないのだろうけど。たぶんこの変換って日常では意識されるまでなく行われているのだろうけど、偏ると認識が馴染むのにちょっとしたラグが起こるみたい。このラグの中に自分が在るような。

 ともあれ。自分が自分で在ることの証明ってみんなどうやっているのだろう。証明不要なのかもしれないけど。証明不要とはなんぞや。なんだか哲学的坩堝に陥っている感だけど、現在進行形でどんどん生きやすくはなっている。生きやすいとは何ぞやだけど、さておき。

 幽遊白書のアニメは最終回が終わった。最終回はだいたい悲しい。でも、この悲しさの中身ってなんだろうと分析すると、現実的更新可能性が無くなることかと思われる。別れが悲しいのは、死別は別として、自分の世界と相手の世界に交換がなくなること。相手の世界は勝手に更新されているけど、観測できないから更新もないことが悲しい。

 死別が別なのは更新じゃなくて存在を見ているから。存在とはなんぞやっていうのを分析哲学で見たけど、どうやら何かの一部が存在ということらしい。全く納得できなかったけど、自分の精神の中にある一部と考えればわからんでもない。お父さんの存在はいつでも生々しく自分の一部として在る。生きているお母さんについては自分の一部にはなっていないから、どっちが存在として重いのかってなると難しいところとか言いながら、明らかにお父さんの方が重い。

 これは分析哲学から見た現実の話だけど、現実的に見て、本当に生きている生物の方が重いのかっていう疑問は起こる。この重さって、存在に対するものではない。質じゃなくて量じゃないかと。というか、自分基準だとほとんど自分にとって気持ち良いかどうかで収まる話。相手のことを想っていると言いながら結局は相手が自分に何をもたらすかを基準としている。とても健全。

 僕が勝手に偏重している可能性的価値観は分析哲学の一部だったらしい。事実と可能性的事象のどちらが重いかというと、後者。事実は単なる歴史でしかない。何をしたか何ができなかったかみたいなことは、可能性世界で見れば些末なこと。相手がこれをしてくれなかったっていう世界の捉え方なら現実の方が重いのだろうけど、相手の現実まで見えてないのにって思う。随分安っぽい捉え方をしていた自分の過去よ。

 

 可能性的世界って何ぞやっていうと、例えば失敗した時に、過去の自分が持っていた情報だけで違う振る舞いができたかどうかも含まれる。だいたい失敗している。知識は歴史で、新しいことに対して役に立たない。でも、新しいことに立ち向かうには自分が蓄積した歴史を前提とするしかないという。

 可能性的世界線だと、色んなルートがある。自分の望みが叶っている世界。叶わなかった世界。生きづらい世界。楽しい世界。まぁこの前提には現実的世界が在るけど、僕は現実的世界にさほど意味を置いていない。例えば可能性的世界において誰かの頭を無性に撫でたいと思ったとして、それが物理的にできたしてもそれで僕が生きている実感を感じるかとは別の話。価値的には現実も可能性も世界としては重さが同じ。にしようと調整している。

 ここで哲学的世界になるのだけど、ベルグソンさん的には感覚から見た相対性的世界観はおかしいだろうとのこと。素朴に分かるけどけど、一般論としては通じないだろうなと。

 恋愛感情っていう刹那な個別的なものですら人は相対化して、過去の人より自分の相手に対する感情の方が大きいとするけど、この大きさって、ただ今に近いからだけではとか。この感情すら個別的だという説。類型的感情と個別的感情を分けるのは大変だけど。

 ところで、本が好きなのはなぜだろうと少し分析してみたところ、そこに僕は居ないからだろうなと。自己認識はだいたい透明だけど、自分が他人に対して振る舞うとき、醜いなぁって思う部分もあって。基本的に透明でありたい。

 透明である自分が誰かに何かしたいって思うことは背理だとも思う訳で。この自分が世界に何ができるのだろうって。

 ということで今日はおしまい。

 

 みなさんちゃんと睡眠時間は確保しますように。