近くの限界

 理性とは物事を分けることと評したのはデカルトさん。方法序説もしっかり読んだ方が良いか。特に難しいということはなさそうだし。この意味の理性ないし良識は人に平等に配分されているものらしい。何故なら、この分けることに関して人は他人をうらやむことがないからとのこと。正誤で言えば、自分の分け方は正しいものっていうことが生得的に習得されているらしい。分かるような、分からないような。確かに自分が見ている世界はそれだけしかないという意味ではありき。数への直感もきっと然りなのだろうな。

 僕が正しさを嫌悪するのは、正しさって主観的疑似空間を越えて、相手に強要できるようになること。しかも正しさは一人歩きして自分の責任ではなくなるし。

 さておき。連休初日のぐだぐだで本屋に行くとなかなか本が呼んできた。感度良好。理系の参考書とか伊坂さんのハードカバーとかデカルトさんとか。あえて買わなかったけど。一番引力があったのは野草の本。ぱらぱらめくってみたけど、これもあれも見たことがある、名前が付いている、おーって。

 僕は野草が好きだった。たぶん時系列の最初の方から。そこから遡ると、僕って知らないけど知覚していた事象に名前が付くことに対して特に執着がないのだろうなと。言語の中にある非言語を見るのもそう。もともと世界は知っていると思い込んでいるものと知らないものしかない。

 知っていると思い込んでいる肉体の件だと、今日は左手にかつらむきをやらせてみた。かなり危うかったけど、むしろ左手の方が繊細かもしれない。あと、利き目が左だから食材切る距離感がダイレクトで良い。自分の利き目がどちらかなんて知る機会は日常生活においてあんまりないはず。僕はたまたまダーツをやったことで利き目と聞き手のずれを知った。そもそも自分のどちらの目が見ているかなんて意識する人もいない。その総合の視覚が見ているという感覚であって。

 そういえば、どっちの手で誰かと繋ぎたいかとなるとどっちが利き手なのかしら。行動心理学的な見解はあるような気がするけど、繋ぎたいのは相手の右手な気がする。なんだろうなこの心理。

 ともあれ。知っているとか知識とはなんぞやという話。自分が何かを知っていると評するとき、何をもって知っていると評することができるのか。例えば、当人にとっての効用として知っているっていう意味では、人すら数でしかなくなる。仕組みは知らなくても使うことはできる道具としての知っている。スマホの操作方法と変わらない。

 あと、コピペできることが知識とするのもある。例えば過去から来た天動説の人が居たとして、その人に対して今は地球が動いているのですよって言えること。物理学的な方程式も知らないのに。アルコールとか煙草が不健康としながら、自分の体重が増えることは不健康としないとか。

 要は、知識って認識の現状くらいでしかない。僕が人と関係できないのは、人は勝手に他人を既知とするところ。この文脈から同窓会について考えると、皆変わらないのよなぁっていうのは、ある意味タイムリープしている。相手から観測した自分と観測した自分を起点としているから変わらないで済む。

 つまり、既知の地点から人を見る訳。主観的変化はここではなかったものになる。だから嫌。そもそも懐かしさを感じる関係って終わったものとしているからでしょうよ。僕の頭にある関係はいちいちなまなましくて、死人すら僕の中では生きている。生きているっていう定義は、物理的に活動しているではないのは、素朴な人間観を分析すれば分かるはず。

 ごくごく個人的なところだけど、僕は基本的に他人がどうでも良い人だから、あえて相手に否定的評価するようなことにはならないのだけど、否定的評価をしていることもあって。これを分析すると、相手の認識の中で既知とされたときだったなと。別にあなたの世界の中で都合良く生きている訳でもないって。綺麗事言われているとなおさら。

 という世界線から外れて1人になると、絶対的世界観がちょうど良いなとなる。僕は時系列で関わった人のことをほとんど知らないし、相手も自分のことを知らないで良い。僕の文章読んで僕のことを知識にできたと思う人とは関係できない。

 素朴に想っていたのが、僕のルックスも僕の言葉もどうでも良いけど好きだって言ってくれる人が一番良いよなと。好きって主観的な世界の極致だから、相手に好きになった相手像を求める訳。その先の共同生活も結局はその人の世界観の中で好きの観念にそぐうかしか見られない。

 そもそも、人に求めるってことは人に干渉することだって気付いてない人が多すぎる。貴方の為を想ってって、まさに干渉の典型だけど、当人は正しいと思っているから分からない。

 僕の世界観だと、人間関係はたまたまで相手のことなんて全く分からない中で、何を発信するか。たまたまだから貴重だけど、貴重だからと言って相手をここに留めようとは思わない。僕は通り過ぎるだけの存在。

 

では、皆さんちゃんと存在を確立できますように。