命は誰が決める

 

 

 

厚揚げ9等分。細かめに切った舞茸とチーズをまぶしてオーブントースター。焼きあがったらオリーブオイルとポン酢。美味い。ここの所てきとーなご飯ばっかり作っている。てきとーなご飯とは、料理名が確立されていないご飯のこと。

 

ともあれ。もっと考えないといけないなぁと思う次第。割と上限いっぱい考えているつもりだけど、まだまだ足りない。あ、仕事の話だけど。考えるために必要なのは、知識というより運用とか概念なような。知識と問題解決が混同。確かに知識の外を答えるのはひやひやするけど。

 

あと、どうでも良い仕事論だけど、人にノウハウを蓄積させるのはなんとなく悪手な気がする。特に下っ端。仕事って端的に定義するなら代替性があるものだと思う。代替性がある下っ端を代替性がないようにしか扱えないとはどういうことか、みたいな。僕はあと2年で離脱するつもりだからある意味どうでも良いけど。かなり個人に委ねられているという意味では、自己肯定感も得られる場、なのかな。知らんけど。

 

そうか、知らんけど、で働こう。

 

まぁこの僕の職場論はどうでも良くて、劇評に遣えそうなキーワード。仕事には代替性という意味が含まれている。観た人にしか分からないけど、こういう感じがあった。陳列されて交換できそうと。劇中には交換の動きは死に繋がっているところしかなかったような。

 

こういう想起の錯綜具合はどう纏まるのかが大変。2400文字は少なすぎる。

もう1つの方は下限の1200文字でも多すぎる。あんまり書きたくないなぁという感覚が凄いのだけど、いくつか気になるところがあるからそこは疑問形として書いておきたいところではある。しかし、雰囲気的に場違い感がふつふつと。

 

まぁ、明日と明後日で、どちらもひな型は作っておこうと思う。

 

なんだかんだ世界はたまたまだから、たまたま邂逅した物事には結構好感を持たざるを得ない。たまたま僕の文章を読んだ人、たまたま僕が読んだ本、接した人、これはほんとに今たまたまにしか観測できないこと。主観で過ごせばあんまりこういうことは気にならないのだけど。

 

ここは僕の内側を語るところだから、劇評の構想でも書いておくか。

 

もちろん書きたい方のSO LONGGOODBYEのこと。

 

自然な筋だと、自己紹介から始めたい。身長172で体重55ぐらいで大学院を出で法律資格試験のために云々とか。夢は概念に成ること。の流れで劇評がいつの間にか始まるという流れ。

 

ただ、正味文字数がもったいねぇ。僕がどういった人物であるかはほぼ不文で良いかなという感じ。そんなもの勝手に出てくるわけで。

 

本番の僕はいったいどういう風に編集するのか。それが結果になる。

 

 

劇評の話は見ていない人には分からないだろうからもっと広く世界観の話。

 

僕はたまたまの接点を割と大事というか注視しているけど、別に運命論者ではない。神様が袋詰めした自分の人生には、可能性も収納されているから、対象と出逢うことが必然だったという訳ではない。もちろん、広い意味では運命論というか規定論みたいなことにはなるだろうけど、僕の世界観はもう少し複雑。

 

運命論が正しいとしたら、誰かと関係することも運命だとなるけど、関係は時系列で寄ったり離れたりする。縁の話。縁はもちろん運命論もあるけど、もっと意志に依った関係だとお思うわけで。

 

縁があるかどうかは運命論的に在る世界ではなくて、意志で創ったもう1つの世界の出来事。例えば僕がここから消えます、他の所で文章的な存在になりますと言ったとき、それをあるがままに受け入れるのか、次は何処ですかとなるか。

 

この話は自分にブーメランだったりして。

 

たまたま読んだり読まれたり言葉を交換する人達って、存在として、在ってもなくても良いものだと捉えているのだろうなと。接するということは相手に接する自分が在るということ。

 

別に、だから蔑ろにするなんてことはないけど、要は、僕は僕をちゃんと存在として認識して意志で関係しようとする人としか接したくないなと思った。これは自分を大事にするというか、相手にとっても無駄遣いかなと思うから。

 

僕の歓心を得たいなら、はまぁ良いか。

 

仕事の代替性と対比すると、関係は替わりが居ないことでは。でも、人は関係を言葉で規定して、代替的な存在にする。

 

もちろん、僕が深い関係になった男女は、たぶん僕の存在が残っているとは思うけど。代替されていたら良いけど。

 

僕は代替されないものとして残している。

 

この話、意味分かりますか。

 

人間関係を代替性で考えることって、とても効率的で良いとは思うけど、相手を機能としてしか見ていないような。これは翻って、自分が機能的な存在であることを肯定する観念。

 

僕は誰かにとって機能的な存在であることに不具合を感じているところ。

 

欲するならちゃんと意思表示しないと。

 

 

僕の意志という現象に対してももう少し掘り下げないとなと思う。

 

では、みなさんがウイルスに負けませんように。

 

おしまい。