どくそん

 

 

なんだか調子に乗りすぎているような。しかし、勝手に生きることの本質は相手にとって自分がどうであるかを度外視することだからこれで良いのか。他人に割り込むことを気にしないというのは、相対的に自分に価値を置くことになる。どうでも良いと思っている割には無謀に面白がっている自分。別に面白い時間を提供できる自信もないのに。だから無謀と評する訳だけど、好きに生きるってこういうことよなと。好きに断ってくれて構わない。

 

1つどうでも良いことを想い出した。誰かと長く居ると稀に呆然自失しているらしい。一番長く居た人が言っていた。自覚がないからその時何を考えているか知らないけど、たぶん非言語で何か考えているのだろうなと。会話の刹那的な交換が面倒になることもある。のかどうかは知らない。

 

さて、生活感。明日から早番なので一週間ぶりに弁当を作った。時間的間隔があっても特に苦にならない。もはや一輪車とか竹馬の乗り方レベル。たとえがわかりづらい。今も乗れるかなぁ。レンコンのゆかり和えと、豚肉とピーマンとキャベツの炒め物、目玉焼き。何か行為をすることに意志が介在しないことはとても良き傾向。

 

とても良き傾向なのは、いっぱい精神的食糧を確保したからかもしれない。2万4千円分買った。一番近場のジュンク堂書店。大阪の中心に行くからにはマスクを着けて。やはり大型書店は豊富な食糧が並べられている。結局法律系の本ばかりになったけど、免疫学の方も確認はした。1冊7000越えは流石に厳しい。隣に医学部っぽい男女の1組が居てなんだか賢そうなそうでもなさそうな会話をしていていた。たぶん恋人同士ではなくて、穏やかな言語交換。賢さと人格は直結していないけど、分布は相関しているかもしれない。ちなみに、僕の人格はまぁまぁ破綻しているから特に説得力はない。僕は賢くないから範囲には含まれていないけど。

 

法律系で7冊、8冊だったかな。本当はあと二冊検討していたのだけど、買う頃には忘れていた。消去法的な選び方だったから無自覚で買わないことを選んだのかもしれないと思えるくらいには、買わなくて良かったと自覚している。

 

どの本がどう面白いかを書いても多分面白くないだろうから、一冊だけピックアップ。昨日の続きだけど、家族観の法律。民法で言う家族法なのだけど、なかなか面白い。パートナーとはなんぞやっていうことは専門家でも難しいらしい。婚姻の要件論。婚姻には婚姻意思と届出が必要なのだけど、そもそも婚姻意思って何って。社会通念上の結婚生活を営む意思だとしてしまえば簡単だけど、この「社会通念」という概念自体が怪しい。定義がある単語ではなくて、常識と言い換えてもいいくらいの意味。でも、パートナー観は今や同性間でもありうるし、性交渉をしない関係もありうるから、夫婦になる意思とはと突き詰めたら、結局制度としての真空パック的な夫婦という概念を享受する意思なのではとなる。俗っぽいことだけど、例えば配偶者控除とか、相続の対象にしたいとか。単に一緒に居たいだけであれば、婚姻届けをあえて出さなくても生活は成り立つわけで。法的保護をされたいなら、養子縁組という制度もある。

 

あんまり関係ないけど、確かに結婚式は感動する。

 

この文脈で考えていくと、戸籍制度も個人単位になっていくのではないかって思う。そこまで行くのはイソノミアだけど、そんなに遠い話ではないような。夫婦別姓も個人的にはどうでも良いところだけど、それなら結婚する意味はない気もする。夫婦って、現状単位として括られることで。

 

法的な観点ではなくて、素朴なパートナー観からの見解だけど、別姓だけは反対だって言っていた人が居て、個人的にこの見解好きだ。苗字すら話し合って決められないパートナー関係は成り立たないだろう、個人同士で交渉しろという説。別姓になってしまったらこの話し合いがなされないまま現状維持で何も決めなくて良くなるみたいな。そうだと思う。自分で決めていないことには不満が起こる。

 

自分は属性に括られた人ではない個人だって自覚するのはかなり大変だと思うけど、そこにしか救いはないともいえる。属性で満足できない限りは。

 

違う話題。

あんまり違いはない気がするのはともかく。

 

 

美学の話なのか哲学の話なのか法学の話かは未分離だけど、アランさんは芸術を思考の物質化とらえているのだろうなと。物質化というとやや語弊がありそうだから、現実化でも良いかもしれない。思考を現実化できる人だけが芸術家足りうるとすれば、考えずに表現できる人は思考が無自覚でなされているだけ。

 

思考の物質化で言えば、僕もきっと含まれる。ただ芸術かと言えばそんなことはないし、ただ、著作権法でいう著作には当たるだろうなって。知的財産法は、こういう思考の物質化を財産として保護するルール。

 

つまり、素朴な考えていない自分の人格は人権の範疇で保護はされるけど、それは抽象的な人でしかない。具体的な人になるためには思考が不可欠。抽象的な人であることと具体的な人であることの違いは外から見た面白さくらいしかないような気もするが。

 

あと、美醜感覚。対人だと感情に依存するよなぁって想う。例えば、想い人のルックスって僕の一般的感覚でもそんなに捨てたものじゃないと思うけど、文章から入らなかったらこれほど可愛く見えなかったかもしれないとか。可愛く見えるのはまさに好意の証左。でも、僕はあんまり人の造形美を気にしていないような気もする。知らんけど。

 

対人以外は、修練でしかない。自分が綺麗だなって思うモノを収集すれば良いだけ。月とか土筆とか。

 

思考するのが人間だと同じくらいに美醜感覚は人間だ。

 

思考は都合が良すぎるから、パスカルさんとかデカルトさんとかの偉人は肉体に回帰したというフレーズを見たけど確かにそうね。僕は自分の想像が現実化すると思っていないから適用外だけど。自分にとって都合の良い世界なんてない。

 

 

では、おしまい。

 

皆さんが存在でありますように。

 

おやすみなさい。