まだまだ

 

 

 

さて、やっとこさしばらく引きこもれる。この騒動の前から予定していたことだから環境は関係ない。どれだけキリキリできるか。心情的にはやや余裕はあるけどそんなことも関係ない。状況なんて自分の物語においては一部でしかない。

 

さて、眉毛の話。

 

マスクをしていてなおかつ前髪があまりない状態で職場のトイレの鏡を見ると目と眉毛くらいしか目に入らない。気になるからちょくちょくムダ毛を抜いたり切ったりしている。よく見ると右と左で眉と目の間が違うし、頭蓋骨の傾斜も違う。左を整えるのが大変。さらによく見ると産毛もいっぱい生えている。

 

という顔のメンテナンスの話ではなくて、肉体観の話。若い頃は稼働したとか良かったとか言う人は多いし、実際そうなのかもしれないけど、なんで自分の肉体への認識が正しいと思うのだろうという話。あまり言語化できないけど、何か自分にとって完全で健全な肉体が在ったと信仰しているような、不思議な齟齬を感じる。意図通りに動いたことがある肉体があるというより肉体から不具合のフィードバックがなかったから、自分の肉体自体を認識できない状態が十全だとしているのか。熱が出たりしなくても体のことは意識的に認識した方が良い。

 

という視点で認識してみると、自分の肉体は左右対称でもないし、意図通りに動かすことはできないし、結果としての動きはできたとしても、ミリ単位で動かすためには練度が必要である。例えば料理で言えば一つまみで何グラム掴めるかみたいなこと。僕は醤油をボトルのまま使っているから傾け方の練度は肉体が若い時より遥かに高い。ここで想うのは、自分の肉体年齢を気にする人ほど、過去の時代に自分の肉体を蔑ろにしていたのではという説。

 

という僕も毎日酒飲みながら日記書いているという意味ではまぁまぁ蔑ろにしているけど、これで不具合になったことは交友関係がほぼなくなってしまうと全くない。他人と飲むと雰囲気がブレンドされて余計に酔ってしまう。

 

個人分析だけど、僕は自分の生活において雑談を必要としていないらしい。凄くぶっちゃけた話、雑談って生活関係を円滑するためのコストやけん、生活関係がない以上、雑談がないことに対してなんにも寂しくない。無駄に話すことに全く意味を感じない。相手が話すことに意味を見出して居れば、まぁまぁ話すけど、発話に自分の人格を載せる練度は全然足りてない。

 

とはいえ仕事ではいっぱい他人と通話していて、やはり声と意志はあんまり一致していない人が多い印象。一致している人に当たると気持ちよい。僕は相手のことを覚えていても相手は単なるカスタマーセンターとして見ているとか、なかなか現実を反映している。言葉には出さないけど、いちいち好意はある。

 

そもそも論だけど、発話には相手が前提な訳でこの、相手に対する言葉に自分の自由を感じるのであれば、それはもう相手を殺していることに近い。誰でも良いという意味で。

 

今やここを分かる人しか読んでいないと思っているから書いている。天気の話とか、どこの世界で何人感染したかとかどうでも良い。

 

 

そうして、自己考察。

 

現実的好意はとても面倒くさいなと思う。肉体を前提としているから、1つしかない。想い人が同居人に愛着の表現をするとふつふつするし。ただ、この感情自体は肯定している。脳科学的に恋愛感情は選択肢を狭めてこの人が好きなのだってすることっていうのも確かだし。

 

これも失礼な話だけど想い人が肯定してくれた僕の存在は浮気相手のストックかなとも思う。パートナーが居ながら現実的な好意を向ける対象を嬉しいと思えることが。

 

ただ、僕の経験則には誰かの浮気相手になったこともあって。1人ではない。それとはちょっと違うかなとも思っている。この発想したとき割と絶望感があった。同じような人しか選んでない自分の停滞に対して。

 

僕は僕に価値をあんまり置いてない人に惹かれる傾向がある。なんでかって、そういう人であれば、僕の人格に干渉しようとしないから。自分にとって心地よい僕で在れば良いというような感じ。まぁ、そりゃそうだ。

 

明日絶対二日酔いだわ。

 

望みは望まないこと。

現実的好意を言語化すると18禁になるからやめておく。

 

本当は避難所もそろそろ卒業かと思っていたのだけど、もう少し先がありそうだから継続。

 

変な話、僕に観念的な好意を向けている人の何人が僕と現実的にまぐわうことを肯定するか。いや、僕は現実にまぐわったことで近くなったとも思えない人ですが。

 

ここまで。

 

僕を安全だと思い過ぎ。

 

おやすみなさい。