徒然の螺旋

避難所

むち

 

 

昨日の日記の直感に従うまではまだ良かったけど、その先の調子に乗ったというかネガティブな叙述があまり良くないのだろうなという事象が起こったから厄払いで色々消したのだけど、タイトルまで変えたのは余剰だったか。

 

5時に1回目が覚めるのは普通のことだけど、今日は、同じ時間でも隣人の洗濯機を回す音が加わっていた。心頭滅却すればという精神修行だと思いながら2度寝しようと思っていたけど、2度洗濯するし、ついでに掃除機もかけるし、朝方にも程がある。まぁそのあとちゃんと安らかに寝て、なかなか面白い夢を見た気がする。基本的に人は他人のことはどうでも良いのだろうとの推定が起こるけど、一部でしかないと思うから、いちいちこんなことにイライラするのも馬鹿らしい。どんな状況でも入眠できるように操作する訓練。

 

タイトルを変えたのは、あのフレーズは最終というか根本だから、まだ早いなと。僕はこれに答えは出ているけど、いやはや。

 

そういえば、ネジバナが気になっている。画像を調べてみて、あのフォルムだったら絶対視覚的食指が向くだろうに、記録を掘り返しても出てこない。全国的に生えているらしいけど、四国は全国じゃないのか、という疑義。確かに本州の特に北の方の植物ってある区間で切り変わるような。中部当たりだと思うのだけど、関東に行くバスとか新幹線乗っているときに見ていた。京都では変わらない。長野でロープウェイに乗っていった高原なんて高山植物だから別世界だった。ネジバナめ。

 

さておき。

 

緊急事態宣言が解除される云々でわいわいするとかリモートワークが良いとか見たけど、これってどこで集まるかが違うだけで、同じことだろうなと俯瞰している。結局集まっているじゃん、だから、ほんとに1人が楽なわけじゃない。

 

この解除の効果って、目に見えて在って、スーパーで、テープ貼って距離を保っているのに従わない人が出てきたところ。この安心感というか、割り込んでくるかもしれないっていう危機感の方が勝るというか。

 

世界が正常に戻ったとしてもこの距離感は残っていた方が良いなと思っているのだけど、きっとすぐ忘れるのだろうなとややげんなり。触れない、距離を保つって個人的パーソナルスペースにしっくりきていたのに。マスク文化も良い。誰にも見えないからよく自然に笑っている。笑顔って素朴な反応より表現的な要素の方が強いような気がする。

 

なんだか、ほんとに自分の頭で考えているのかって思うような集団性。確かに、自粛傾向の時に感染してしまったら疎外されることうけあいだから、自分の為にそれをしないし、特にしがらみがない人はまぁまぁ外に出られるし。

 

素朴な疑問だけど、なんでそんなに情報を信じられるのだろうというところ。ここの信じるは、情報の取捨選択みたいな合理性ではなく、信仰の領域。この解除ってたぶん、ウイルスが未知から既知になったくらいの意味合いでしかない。別に大丈夫になったわけではなくて、既知のインフルエンザとかと同じカテゴリに入っただけじゃないかって思う。そもそも感染は宝くじレベルのものだったし。他人には近づいてはいけないっていう信仰も布教されたら良かったのに。

 

とは思うけど、物理的場自体が資源だからそうもいかない。だから、それと連動して精神的場という観念があるのかも。僕は精神的場の概念は嘘っぱちだとしているけどこれは当たり前のこと。

 

たぶん一般的に、自分の想いの証拠って、時間とか労力とか投資とか、何か他のもので換算できるものとしている。反証カモンだけど、要は、自分にとってどうか。いや、とても健全な関係性だけど、人が人を想うことの完成形ってこれでいいのかなと。

 

いったん俗っぽい話で箸休め。

 

ベートーベンの小説は、全然美味しくない。おやすみラフマニノフとさよならドビュッシーは美味しかったけど、ベートーベンは音楽じゃなくて法律によっている話で、取材不足というか、一般向けなのだろうなという感。司法試験受験者で六法全書持っている人なんてほぼいないし、この世界観のリアリティのなさが気になってしょうがない。まぁ一般論ではそうだろうしメインではないのだろうけど、それにしても文字数が多くて。

 

法律が人を救うなんてことはないという問題意識は分かる。正解を求めすぎな世界はまだ過渡期なのだろうな。

 

 

はい、本題。

 

お昼に思っていたのだけど、世界を読み取るって、読み解いて再構成することだろうなと。分解して創り直せたら、もうもともとのものとは違う、創作領域。

 

好きでしょうがない想い人分解。

 

たぶんそうだろうなって直感をしていたけど同居人はおそらく僕も知っている人だろうなとやや情報収集して思った。ルームシャアだけどベットはともにするとか、僕ならもっといちゃいちゃはしそうだけど、関係は個別的だから、ルールがあるのだろうなと。

 

この筋だと、僕の恋愛感情アピールがうっとうしく思われなかった意味も分かる。方向が違うから共存はできるという意味で。

 

そうして、僕が個別的に送っていたメッセージが同居人もとい演出家と共有されていたらやや恥ずかしいとも思う。

 

僕の劇評が演出家にも好評だったって言ってくれたけど、共同生活しているときにっていう場面だと文脈が変わってくる。僕の観測範疇だと僕が個別的に投げた言葉は当人の中に留めてくれているとしているけど、僕が知らないところでどうしているかは僕のコントロール下にはないから、どうしようが差支えない。

 

自分をまぁまぁ発掘しても、想い人のことを好きな意味が逆に分からない。要らないことを言えないのであれば、あと一週間みたいに期間制限しても良いけど、その期間内にかえってくるのも嫌だ。

 

全部架空。想い人が僕の日記を読んでいるかは感知できないし、そこもどうでも良いこと。

 

きっと合理的な無視。

 

 

 

おしまい。