終末論

 

 

そういえば、次の新刊枠。恋愛小説はややお腹いっぱいだから、動物に癒されようと思いタイトル買い。「猫のお告げは樹の下に」新刊枠なのかラノベ枠かわからない。ハチワレ猫は可愛い。なんというか、伊坂さんの系譜を感じる。縁とか繋がりとか共時性とか。

 

もちろん、本当にこの人が伊坂さんを読んでいるかどうか知らない。けど、なんというか本当にオリジナルな小説なんてないような気もする。何の小説も読まないなんてことはできないし、何も読んでなくても生きているだけで世界を読んでいるし。まぁ、どこまでが人格かという括りで言えば、影響は受けようが受けまいがその人とは関係ないのかも。

 

なかなか込み入った話だ。

 

ところで。美の話。美学の起原はカントさんだというのは黒猫シリーズで読んでいたけど、やっと、タイトルを見つけた。「判断力批判」。美大に行っている人には最低教養なのかな。本当は原典を読むべきで、これから読む。純粋理性批判より面白そう。

 

美的判断についてのコピペに対して、分かるところと分からないところ。

 

美しいと感じること。出勤ルートで、やや距離が遠くなるのだけど、アジサイが綺麗に咲いているルートがあって、近さよりそっちを選んでしまう。ガクアジサイは平面で、セイヨウアジサイが、半球みたいなやつ。どっちも綺麗だけど、どちらかと言えばガクアジサイの方が天然っぽくはある。別にオーガニック志向ではないからどっちでも見る分には良い。

 

そうして、美的判断とはなんぞやというと、他人を他人として見たところにあるらしい、これって、昨日の僕が言っていたのだけど、どうやらちょっと違うらしい。感性的な快を他人に要請できることとのこと。要は自分が何かを綺麗だと表現する時、他の誰かもこれを美しいと感じるだろうって。これを主観的普遍性と言うらしい。

 

要請っていう語彙はやんわりしていてなんとなく妥協しているような気もする。あぁ要請って言っているのはカントさんではなくて、社会美学の本を書いている人。

 

しかし、これってざっくり現代化すると、インスタグラムとかで、自分がこの光景を綺麗だと思って撮りました、綺麗だって共感してくれるよねってこと。確かにそれで繋がる関係が圧倒的に多いところから見ると、主観的普遍性を見出したカントさんが現代に生きていたら膨大なフォロワーが得られそう。

 

別に哲学の大家に疑義を呈する訳ではないけど、僕の美的感性は誰かにこれは綺麗だよねって伝えたいところにはない。こういうのは思い込みに過ぎないって社会美学の方の学者さんが言っていた。自分だけが美しさを観測できて他の人はどうでも良いという感覚はまだ拙いみたいなニュアンス。

 

学者さんには申し訳ないけど、僕はこの美感が誰かと共有できるという観念が拙いと思う。拙いというか、細分化し切れていない。何かを美しいと思えることって確かにある程度は単純化できる。月が綺麗だ、花が綺麗だ、生活が美だとか。でも、この、誰かが何かを美しいと思うことって、かなり個別的なことだと思っている。共有したい人はすれば良いけど、あえてそうしているだけのような。

 

カントさんのいう美的判断が相手の美的判断を個別化するという文脈の可能性もあるからやっぱり原典は読まないと。

 

具体的な話。

 

僕は月の美の話はいっぱい書いているけど、これで、月は一般的に美しいだろうという共有は要請していない。美を感じることができるって、基本的に余裕がある時にしかないし、それが普遍的であるなんておかしい。人生に余裕がある人しか美を感じられないなら分かるけど、余裕と美の観念もぼやけてずれている。

 

例を出すと、大学で同級生だった人は、小説をいっぱい読んでいたのだけど、風景描写は読み流すと言っていた。自分に含まれない世界はどうでも良いってことなのだろうなと。感性的な美感がない。あくまで、自分にとって有利か不利かという世界。ここに相手を相手としてという観念はない。

 

そうして僕の話だけど、自分が綺麗だと思ったものごとが、共有されることなんてないと認識している。独自の視点じゃなくて、固有の認識というものさし。僕の認識では誰かと同じく綺麗な世界を見たとしても見る主体が違うから捉えたものは全然違う。ここを共通項にする意味がどれだけあるか。

 

僕が見上げた月と、誰かが見上げた月の美しさはいっしょくたにしてはいけない。

 

なんで、感性の美的判断が共通項を用いないといけないのかって考えると、人って寂しいものだからなのだろうなって。僕もまぁまぁ寂しさが根っこにある。肉体的な意味ではなく、精神が誰にも伝わらないこと。

 

僕が留めているだけなら、相手としては要らんのだろうな。

 

この辺りの曖昧さは明確に選別しないといけない。

 

何か意見があれば聞くけどどうですか。

 

基本的に要らないなら要らないで良い。この書く時間はほかに回るし。

 

色々煩わしい。

 

スプホリさんも波さんもきっと観測圏内から居なくなったら僕のことはすぐ忘れるに違いない。1週間くらいやってみるか。

 

僕は誰にも欲されてないし認められていないことも知っている。だからこそ波さんを好きになったけど、これも徒労だし煩わせて申し訳なかった。

 

では、来世で。

 

おしまい。