解剖

 

 

日記を読んでご馳走様をした後に書き始める。

 

個人的に泣くことは感情の排泄だから悪いことではないと思う。感情が出てこないようにするのは基本的に無理だから、溜めるよりは還元というか循環させる方が良き。まぁ僕は嘔吐もそういう風に考えている節がある。吐いてしまうのは、その時体が欲していないということだから吐くに任せればよい。しかし、どちらにせよ水分補給は大事。

 

何かできればなぁという感情がふいに起こるけど、これは全く無関係な別の話。

 

これも感情の排泄なのか。循環する類のものでもない気がするが。

 

さておき。レタスがやっと安くなってきたのは季節が変わったからだろうか。この辺りも梅雨入りしたらしい。

 

雨の話。

 

仕事中に暇にまかせて外を見る。ビルの間の風と光と雨粒の軽さの具合で季節外れの雪のように見えて、マスクの下でにまにましていた。これを誰かに言ったところで誰にも伝わらないだろうなと思いながら。

 

弁当休憩にも降るかなと思ったけど、一時止んだから外に繰り出した。公共施設は開いてきたけど、公共喫煙スペースは思っていたとおりなかなか開放されない。でもいつでも何人か封鎖されたスペースの周りでタバコを吸っている人がいる。吸い殻も置きっぱなしだし、どういった倫理観をお持ちなのかが気になるところ。これが大人かよって。

 

そうして、コンビニの灰皿でタバコを吸って、水とコーヒーと煙草を買って出てきたら、空模様がなかなかどんよりしていた。いつ泣き出すか分からない雰囲気。公園のベンチでお弁当を食べながら、いつ来るかなと、ワクワクしていた。雨を煩わしいと思うのは簡単だけど、理不尽さに振り回されるのが人間というちっぽけな存在だし。降られる準備も振られる準備もできている。

 

結局食べ終わる頃にはなぜか晴れ渡ってしまって、太陽の光を反射する緑がとてもキラキラしていて良いなぁと木々を見上げながら贅沢な気持ちになる。ちなみに帰りも降られなかった。

 

そのあとルーティンに本屋さんで15分くらい立ち読みをするのだけど、道中のベンチに昨日も気になっていたおじいさんが座っていた。この席、1時間前だとホームレスのおばさんがいつも座っているのだけど、時間がずれると違うらしい。背表紙に、日本経済史と書かれたハードカバーの白っぽい本をもくもくと読み進めているおじいさん。昨日は本の持ち方が先に気になってタイトルが後だったのだけど、この本自体もとても気になる。

 

気になるからなんなのだという話だけど、僕はこういう風に世界を見ているというだけ。こんなの現実の関係では話せない。

 

立ち読みで気になったのは、ここからの時代、人はより不合理を選ぶようになるという説。買う気はないからタイトルは再現できないのだけど、基準が感情に依ってくるという時代感覚はなんとなく分かる。今の時代、ちゃんと基準にできる1つの正しさなんてないもの。だから正しさが乱立している。ここまで乱立しているのは歴史上なかったのではないかと思う。コロナ禍って言うのだっけ、への対応もそう。どう行動すれば良いのかはちゃんと自分で決めないといけない。つまり、正しさは外にはないということ。

 

例えば、アルコール消毒とかめちゃくちゃしているけど、経口摂取してしまったら害があるものになんでそこまで信頼を置けるのかとか。食器用洗剤で手を洗い続けることに近くなかろうか。流水で手を洗うことは好き。

 

あと、マスクも個人的には好みだけど、夏になってきて子供には良くないみたいだし、ほんとうに必要だったのかはよく分からんよね。僕はパンツを履くとか服を着るみたいな感覚に近い。してなかったらマナー違反になるでそと。

 

ソーシャルディスタンスについてはパーソナルスペースと同じだから、順番で並んでいる時に露骨に離れても衛生感覚に律儀って認識されるだろうと思うと都合が良い世界。

 

ただ、正しさの効用って、社会美学でいう要請と似たところがある。正しいから相手に行動を強要できる、みたいな。この共通観念の正しさがなくなった未来はどういう世界になるのかって考えるとなかなか難しいところ。漠然とした正しさでは相手を説得できないとなると、自分の中の正しさはどういう風に正しいのだっていう意味で個人を剥き出しにしないといけない。

 

例えば、人を殺すのは殺人罪で罰せられるけど、なぜ人を殺してはいけないのかの理由を犯罪になるからの外で説明できないといけない。ちなみに僕は場合によってはありだと思っているし、平時では大事な人が殺されなないために殺してはいけないという回答。

 

僕はこういう世界はウェルカムだけど。おそらく共有するという観念はなくなるだろうし。

 

こういう感じで、会話と言語を考えていた。

 

僕は、例えば、夕日の色の中で何が好き? みたいな会話ができる人を欲求していた。青みがかった紫色が好き。

 

でも、会話でこれを現実化するのはなかなかの無理ゲーである。僕が観測した圏内だと、人って他人の話を聞き切ることができないから。現実的に意味があることでしか会話は起こらない。相手が話していても、自分の見解を挟みたくなるし、自分が分かるところに寄せるし。

 

僕が日記を観測してくれることに重きを置くのは、この文脈。あぁ聞いて貰っているなって。主観的にはただ読んでいるだけだと思っているだろうけどこちらからでは違うのです。

 

それだけで僕がどれだけ救われているか。

 

ここまで。

 

あんまり強迫観念に囚われていませんように。

 

おやすみなさい。