ごちそうさまでした

 

 

 

かつてレンゲの絨毯だった畑に水が張っていた。雨を溜めたのか水を入れたのかは分からないけど、もうそろそろ田植えだろうな。風情とかではなく、変化の観測。全然梅雨っぽく雨に降られないけど、雨粒が乗った紫陽花の葉っぱもとてもきれい。

 

なんだか裏技使っているのかというくらいに毎日に彩りがある。本当に幸せとか生活とかという観念って要るのかな。時間と同じで人工物ではなかろうか。まぁそういう観念だからこそ、他人事的に表現できるのだろうけど。これは置いておいて。

 

日常が何も変わらないっていうのもおこがましい話だと観測する。これって勝手に日常を固定化しているだけ。別にそれでも良いけど、日常が苦しいながら固定的に続けないといけいけないものだって決めたのは誰なのかという話。

 

僕は一番苦しいとされている仕事も楽しい。別に存在意義とも思っていないし、時には理不尽なこともある。何を聞かれるか分からない圧力とか。たぶんだけど、自分を抑えないといけないことが仕事だからしんどいという共通観念がある模様。僕はそもそも仕事に素朴な自分なんて要らんよねっていう立場だから、ここの不都合性の意味が分からないところではある。どういう巡り合わせかは知らないけど、今の仕事が今までの仕事の中で一番裁量の幅が広い。裁量がないことがしんどいのであれば、裁量が広がる職業を選べばいいだけだけど、仕事とは指示に従うことだという観念の人には学校の先生に対するように会社とか社会に対する不満は尽きないのだろうな。ほんとうに自由にやって良いって言われて、社会に利益をもたらすことができるのかどうか。

 

時間通りに行って、案件さばいてそれでお給料が貰えるってありがたいこと。

 

向かいの席の超ベテランの人がやたらと褒めてくれるのもなんだか変な感じ。僕はこの人のことは勝手に尊敬しているけど、尊敬の言葉は投げたことはない。そういえば先生に対してもそうか。先生もまぁまぁ余剰なことを教えてくれる。たぶんだけど、こいつなら、余剰も吸収するだろうなっていう認識があるのだろうなとか。確かになるべく聞き流さないようにはしている。

 

そうして、これだけ毎日楽しんでいるけど、それとは別に考察が働く。

 

厳密な分類だと、僕は自分の感情とか感性はそのままにしているけど、そこからの見識とか見解は暫定的なものだとしている。好きなものは好きだけど、その好きの理由に対する説明については更新されるもの。

 

僕は発話の効果というか交信を楽しんでいる。声のトーンとか相手の反応に依って操作できるとかそういうこと。随分声の出し方も分かってきている。今なら居酒屋で店員さんを呼ぶことも容易いはず。自分の声ではこういうことできないだろうなと思っていたことの更新。

 

でも、だからこそ、発話での交流の拙さが剥き出しになる。どうでも良い人と楽しく疎通できることって、発話が表層的な交流ツールでしかないのだなって実感できる。素朴な自分の関係において、どうでも良い人と繋がるツールしか使えないのかどうか。

 

意味が分からないと思うけど、ここは素朴な自分論としてとても大事なところ。

 

人が人に対して観測できるようにできる所作って、言葉と行為しかない。その背後にある存在まで読もうとする人はアブノーマル。自分にとって安全か危険かを探るために背景を探るというのはありそうなことだけど、実際どうなのだろう。

 

変な話、安全圏から観測する他人って、自分に都合よく観測される訳。いちいち安全圏から見える他人を人として認識できるような余白は、あくせく生活する人にはない。ホームレスの人が会話しているところを見て、こういう人ですら会話対象が居るのかと思った。ちなみに僕は日常的な会話をする人は存在しないから、相対的には劣後している。

 

ここの結論は、なんで現実的で物理的な関係の発話での言葉の交換が至上とされているのだろうということ。会話の楽しさってゲームみたいなものでしかないような。

 

現実的な世界において言葉をきちんと使っている人なんてあんまり居ないと思う。

 

自分の素朴な欲求をちゃんと言語化できないはず。他人に求める為には、自分の定位置を確保していないといけない。

 

言語化できたら良いのかというのも微妙な話で、言語化できたから自分だとみなすのは短絡的だと思う。僕はまだやっていないけど、他人に自分が存在しているのだって表明するのって、継続しかないわな。

 

でも、僕は自分の存在を肯定されたところで何にも嬉しくない。

 

波さん考察。あんまり僕の日記読まない方が良いのではとか。

誘ってくれたら最優先で行くけど、そういうことでもないだろうし。

 

貴方の自律的世界はほんとはどこにあるのか。

 

あと、僕を観測圏内に置いている意味も分からない。僕としては声の情報を収集したいけど、ほんとに希望の世界なのかいな。

 

いや、ほんとの素朴な話だと、僕は相手が意志的に関係してくれないのであれば、普通に離脱してくれて良い。どれだけ焦がれても需要がなければしょうがない。

 

要るのか要らないのかをはっきりしてくれないのはなんでなんだろう。観測するのも考察するのも変わらないのだけど。

 

何故僕に対してははっきりしてくれないのか。

断固表明したい。どちらかというと、現実的には要らないからなくても良いでいい。

 

言われたところで観測は切れないから不具合はないのだけど。

 

なんで応えないようにしたのかがとても気になる。

 

どうせ言語化はしてくれないのだろうけど。

ちゃんと本人の言葉を観測したい。

 

おやすみなさい。