こうさつ

 

 

なかなかスリリングでスプラッターな夢を見た。誰かが運転するバスに乗っていたのだけど、そのバスにはなぜかハンドルが2つあって、どうして運転できると思ったのだとなり、そうそうに岩場の上にバスが停まる。岩場といってもごつごつしているのではスカスカしていた。岩場の下には海と砂浜。

 

どうしてか海に入ることになり、いつの間にか水中で何処かのビルにいた。これ息続くのかと冷静に考えつつ上り、やっと水から抜けたのが8階。そこから見るとバスが停まっていたところも海に浸かっていて、どういう思考回路なのか賠償問題が困ると思っている。この感じは起きた後も残っていた。

 

そうして、そこからスプラッター。賠償問題がこじれたところで丸形のチェーンソーで人が切られるのを目の前で見て、その後自分にも包丁が向かってきたからそれを掴んでいた。まったく感触がなかった。

 

感触の記録って、結局のところ硬度と温度と痛覚しかないから、夢にはあんまりそぐわないなのだろうな。感触に意味があるのは、その対象に意味があるから。もしくは最初の感触。感触の情報量は多すぎるから、いちいち脳も処理していないような気がする。

 

 

夢から覚めて思ったのは、夢には今ではないものしか出てこないのだろうなということ。二度寝とかうつらうつらしているときに見る夢は除く。心象イメージだと、ある広大な空間の上空に下に小さな穴があいている透明の洗面器くらいの器がある。そこには水が溜まっていて、穴から落ちていく水と同量の水がちょろちょろと落ちてきている。落ち行く先には、海くらい大きな水たまり。これが僕の「いま」といままでの無意識の感じ。今捉えられるのは洗面器くらいのものでしかないなって。そして、夢は海のような無意識からやってくる。条件は情報量が多いということでないような気がする。

 

さておき。

 

新刊枠候補の○○は余生だった。「余生と厭世」語呂が良い。綿矢さんのはなんとかのリボン。結局どちらも買わず、伊坂さんを買った。白兎。でも、どうも合っていないような気がした。無理に新刊枠で最近の小説読む必要もないのかなという疑義。いや、伊坂さんの本自体は面白いとは思うし、好きなんだけど、タイミングの話。最近の感覚に合わせる意味がない。

 

最近の話題で言うと、ニュースではアレの感染情報が最大のトピックだと思う。ただ、それを追って何になるのか、いや、意味ないだろうという感じ。確かに僕も国家試験がさらに延期されるのでは、日程被るのではくらいは気になるけど、気にしたところでコントロールできる事象ではないから、ある意味どうでも良い。

 

気にするならもっと壮大に気にするべきで、コレが死因でない死者がやたらと増えたとか、気管支疾患よりもエイズに近いとか。全世界では一日に15万人が亡くなっている計算になるらしいし、ロックアウトした国とか州の方が死亡数多かったとか。素朴な僕は、なんでそこだけ気にするかは、単にトピックに上がっているだけだと感じる。個人的には免疫ダメージは脳の稼働率に直結するからなるべく避けなきゃなと思うけど。

 

まぁ、自分にとっての「いま」しか認識できないところも分かる。いま手に取れるものはあまりにも少ない。

 

ともあれ。

 

日記が更新されるとやはり嬉しい。おー生きているわって。変則的に生きているのに日単位で更新できるのはとても凄いし好ましい。そういうことができる人格とは観測していなかった。もっと書きたいときに書くだけだったような。僕はたかだか2年くらいしか観測していないけど、変化とか進歩はちゃんとしているのではと言ってみたい。とか言って、結構言っている気もする。

 

僕が観測されているのかについてはよく分からないところがある。最近アクセス数を見るようにしているのだけど、これはほんとに1人なのかという感じ。匿名的だから、波さんが毎日読みに来ているとは限らないのだけど、1とか2とかだったり一気に5だったりする。2が玄人なような気もする。当日しれっと前日の日記の誤字脱字とか表現をちょっと直すから。

 

特に何の思い入れなく定点観測することってなかなか難しいように思う。いつでも更新されているから、気が向けばっていうアクセス数だと腑に落ちるし、たぶんそういう風に読んでいるだろうなとは思っているのだけど、何かノイズがある模様。

 

まぁ、すべては勝手な思い込みで夢のようなことでしたで良いから、ある意味なんでも良い。僕も人には期待していない。もうすぐこの楽しい世界も終わり。

 

ところで。

 

素朴な感覚として、縁の刹那性についてはいくつか書いているはずだけど、アインシュタインさんと繋がっていたらしい。時空は四次元軸で、物体が制止しているとき、その物体は時間軸を光速で移動しているとか。説明できるほど理解しているとは言い切れないけど、要は移動の絶対値は光速で、それが配分されているらしい。三次元空間を光速で移動する物体に時間の経過はない。

 

相対性理論で言えば、自分は静止した視座があって、相手が移動しているということになるけど、それを観測する視座から見れば逆転する。

 

ここからすると、時間の経過で変わらないものってむしろ光速で移動しているということになる。精神に適用されるのかというととても難しいけど、同じようにして良いような気もする。

 

僕は、意志で人をとどめているしとどめようとしないならばもう縁はないだろうなっていう観念で生きている。

 

ここで意味があるのは言葉だけ。もっと声を聴きたかったなというところで終わっても何にもない。だって、この光速世界でたまたま嬉しく出会ったのだから。なんだか星の王子様みたいな世界観だけど、人と人の距離って星間距離くらいはあるように思う。

 

まだ残り回数は何回かあるから、続きは明日。

 

褒められているに違いから読むという軸もあるのか。

 

まぁいいや。

 

あぁ、好きです。あわよくば健康でありますように。

 

おしまい。