遊び場

 

 

少し短めの睡眠時間で6勤目。とても元気。言い聞かせる必要もないくらいの稼働率。お腹が痛かったが問題ない。こんなの痛いだけのこと。トイレに行きたい原因にはなっても、気分が悪くなる原因にはならない。

 

とりあえず、日記的日記。

 

仕事はまぁまぁ忙しくて、働いた感があった。先生は2人だと別のことも話してくれるが、本日は3人なので、仕事の話しかしなかった。仕事場で仕事以外の話をするのは息抜きというか仕事上の人格以外でも話せる感じで良き。ただ、自分のことしか話題がないのはどうなのか。僕はあんまりこういう話題では話せない。わざわざ話さなくても問題ないし。政治とか法学とか仕事としても構造の話とか。

 

年齢不詳の新人さんの仕事振りを捉えるに、先生の指示と微妙にズレたことをしているし、わざとやっているのではないかというくらい話を引き延ばしている。文字数が多いのは相手を慮っている訳ではなく、自分の主観の中だけできちんとしようとしているだけなのだろうな。口が回るのは営業畑出身らしいとのことで納得。

 

こういう人が人を慮っているように見られるのだろうなという感じだが、もの読みとしては、言葉が乾いているような気がする。苦手だと思いつつ、僕は無関係に慮ってしまう。昼休憩時にお弁当を食べに行くときに休憩室が暗かったからスイッチの場所分かってないのではないかと聞いたら、大丈夫です、気遣ってくれてありがとうございますという言葉が柔らかく返ってきた。その言葉を聞いて邪魔して申し訳ねぇとなった。

 

言葉が自分を守るために遣われている。

たしかに言質という単語もあるし、そういう世界観も分かるが、僕は自己の存在を確立したり保護したりするために言葉を用いていないなぁって。

 

とはいえ、譲り過ぎも慮りに対する甘えられも止めようしている。というかできてきた。一昔前は、お花を摘みに行くタイミングも調整していて我慢することがあった。今でも調整はしているが、特には我慢していない。INFPってこんなことまで気にしていないかという気がするが、この性質がそうなのかは知らない。場の調和を慮る性質。

 

あと、我ながら面白いのが、昼休憩時、駅から公園に繋がるビルの通路の自動ドアを通るとき、1人ずつ行き交うのが限界の幅のところをカップルが2人で並んで向かってきて、あからさまに嫌な顔をした俯瞰があったこと。女性の方に聡く観られたと思う。これが、カップルへの嫉妬か、まずいことしたなと解釈されるのかは知らないが、僕はこういう振る舞いをする人は苦手で良い。世界に自分達しか居ないみたいなやつ。嫌な顔ができて上出来。来たら避けるみたいな挙動ができない幅だし。

 

新人さんの言葉が苦手なのはきっと世界観が似ているから。

先生の言葉は自分の世界観とは別の世界観があるという事情が加味されている。

 

その先の公園のベンチでお弁当を食べる。子連れの夫婦が座って居て、膝にはぐでーんと寝ている男の子。微笑ましい。こういうのは見ていて問題ない。良いこっちゃ。

 

午後の部の仕事は、恙なく。

寝落ちしそうになったが、ちゃんとこなした。

 

そうして遊び惚ける。

パートナーさんと仕事終わりの時間が一緒だったから、空間を隔てた運試しデート。斬新で楽し過ぎる。そうして、これを一緒に楽しんでくれる精神性がちょうど良過ぎる。

 

なんだかんだ楽しんでいると勝ってしまう。

当てようと意志すると駄目。僕はまだそこまで意志の現実化の領域に至ってない。

 

エヴァンゲリオンが人気なのは分かる。だって原作を知っている人にはきっと楽しいに違いない。パイロット選択でパートナーさんは渚カヲル君一択だろうなと思いつつ、綾波レイちゃんを選択。ただのフェチ。

 

細かいところはどうでも良いとして、運試し場って子供のような挙動をするオトナが多いよなーって思う。ボタンとかそうとうな強度で作っているのだろうな。バンバン叩く人が盛りだくさん。たしかにゲームとして楽しいのは分かるけれども。

 

最終的に僕は勝ってとんとんみたいなった。

運の向きが悪くなっているのに一緒に遊んでくれたのだから当然一緒に過ごすことに回す。

 

そうして帰り。買ったとしても普通にスーパーのお惣菜。あれ、ビール買っても2000円ちょいって安くないか。金銭感覚がずれるが、それによって無駄遣いすることはない。良いご飯を食べる為には相手が必要。金銭は大したものだが大したものでもないという両義性を習得するために遊んでいるという節。あと、からくりサーカスのアニメ画を見るためなのか。原作はきちんと電子版で購入して読み進めている。

 

からくりサーカスの世界観って、舞台なのだが、舞台の外にもきちんと人が居るというのが良い。勇者とかヒーローが主観の舞台ではなく、観客が居るからこそ主人公がある。サーカスの芸人は観客が居ないと存在しえない。

 

あぶく銭で全巻買ってパートナーさんに布教しよう。笑

絵柄の癖が生理的に受け付けないのであればどうしようもないが、それはそれで良き。

 

遊び惚けていたものだから、お風呂読書の時間がカットになった。

別に義務で読んでいる訳でもないし、多少離れたとしても問題はない。むしろ少し離れてもまた読みたいというのがほんとうの読書欲。

 

そういえば、昼休憩のときに小説を買った。運試し場で読む用。

西尾維新さんの戯言シリーズから派生した最強シリーズの最終巻。アニメ化できないような話だからおそらく認知されていないが、僕は戯言シリーズが一番好き。省略。

 

そろそろおしまい、の前に。

 

僕は一般的に言われる読書の効用についてはさっぱり分からない。

何かを目的として読んでいるということは皆無だし、読解力とか想像力はなんというか本を読む前の精神性な気がする。どれだけ本を読んでいる人でも具体的な他人の事情を慮れないとか。僕の中では本は世界であって、本を読むことで世界が狭くなることなんてあり得ないのだが、自分の世界の為だけに本を読む層も居るのは分かる。

 

そうじゃなくて、僕の世界観。

本を読むことは時間もエネルギーもかかることだが、その言葉には時間の含蓄がある訳で、これを食べることによって、時間で捉えたときの自己が重層化する訳で、精神軸の時間だと可逆的になるのでは。僕の例しか無いから僕がおかしいだけという説があるが、誰かが費やした文章を食べるって、消費の後に創った人のことを想うのが普通なような。

 

今日はここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。