指向性

 

 

今日は、あまり怠惰ではなかった。徒歩圏内でなくなっては困る理容院に髪を切りに行ってきた。課金しに行ったと言っても良い。理容師さんも元気そうで良かった。このご時世の話題はほどほどに、ゲームの話ばかりするという。しかし前髪が切られ過ぎてスカスカして

 

ご時世の話は、公園に密集する人達への違和感だけ共鳴した。子供と外で散歩する時もなるべく人が居ない時を選んでいると言っていて、これが素朴な意識だろうと思う。なんで他人事みたいに密集するのだろうって。リスク加味で自らの意志でそうしている分には良いけど、そうはあまり見えない。免疫力の向上という意味では分からんでもないけど。

 

ついでだけど、僕は手洗いうがいはともかく、アルコール消毒についてはやや懐疑的。これは何処かで読んだ、潔癖症的な世界によってアレルギーが生まれたという免疫の抵抗値を下げるということ。人の体内でしか生きられないウイルスが手に付着した後の生存期間やいかにっていうのもあるし、消毒で死ぬのはウイルスではなく細菌だっていう話で、細菌が人の免疫力を構築しているし。そもそもけっぺきを指向すること自体がストレス溜まることで、過剰なストレスこそがたぶんこのご時世で一番あってはならないこと。太陽の光で精製されるビタミンDは免疫には良いらしいから外には出た方が良いけど。

 

世界の標準が自分に合ってきているというのもこの時代に生きてないと経験できないことだ。

 

 

ゲームの話。ファイナルファンタジー7のリメイクがプレステ4で云々みたいな話があって、一瞬ゲームがしたくなった。ゲームをしてきた自分の時系列が一気に開示されてきて。僕はドラクエ6に一番思い入れがあるけど、5で妹がスーパーファミコン本体にぶつかってセーブが消えて不機嫌になって、何故か復活したこととか。

 

僕の中ではゲームは1人遊びのものだった。スマブラも他人の家でしかやっていないし、基本はRPGしかやってない。ある意味1人の時間を潰すものだったのだろうなと。人と会うっていうのが贅沢品だったのは確か。ドンキーコングとかできるならまたやりたいところではある。オンラインゲームはオンラインの相手に気を遣うからあんまりしたくない。

 

男同士の話だと、ドラクエで誰を嫁にするかとかFFでティファとエアリスとどっち派だみたいな話で盛り上がるけど、僕はゲームにそれほど心は置いてない。共感はできるけど、別に共感に意味はないと思う。男の話は一段階抽象化されているけど、結局は共感でしかない。

 

さておき。

 

日課の話。想い人の日記がほぼ毎日更新されていて個人的にはほくほくしているのだけど、逆に考えると、想い人が読んでいるかは知らないけど僕の日記を毎日読んでいる人が居るわけで、他人の日課になっていることも然りなのだろうなぁ。

 

って考えると、対話していないのに関係が構築されている訳で、なんだか不思議。

 

関係の定義だけど、僕は自分と対話していないところも関係に含んでいるのだろうなと思う。勝手に読んでくれているいる人も感知できないけど関係の亜種ではある。申し訳ないところは、この日記を読んで頂いていることに一切親和性がないこと。読まれるだけで嬉しいことはない。どういう人が読んでいるのだろうっていうのが気になるだけ

 

共感の話を掘り下げると、僕は世界に対して共感ができないことはない。気持ちは分かるけど、この分かる気持ちが本心なのかというと疑問なだけ。共感されたいのが人だろうけど、僕は自分に共感されたら自分がぶれてしまう不都合性がある。

 

共感で都合良く使ってくれるな。

 

ここまで。自分の存在が世界の動向でたやすく揺らぐなら、自分を突き詰めてないだけだと思う。

 

ではおやすみなさい。