理想郷

 

 

 

少々寒い水曜日。お弁当時間に人が減っているように見えて、おーって思ったけど帰りの公園ではそうでもなかった。慣性。

 

先輩と上司の雑談が聞こえてきて、朝コンビニでご飯を買ったら行列の人が詰めてきて嫌だったって言っていた。これって、不満が他責的だ。むしろ朝コンビニに寄らなくても良いように自分のルーティーンを変えれば良いだけではと思った。自分の生活は変えたくない、でも生活に付属する世界が嫌だってどうなのだろう。ご都合主義で捉えすぎでは、と思う。この考え方は辛辣なのかどうなのか。自分で作らなくてもなるべく混雑したところを避けることはできそうと思うだけ。僕は弁当作っているのはもともとこのご時世の前から昼時のお店で並ぶのが時間の無駄だからという理由もある。かなり比率は低いが。

 

 

楽しい話としては、煙草を吸いに行く徒歩ルートを変えてみたら、もう1つレンゲの絨毯を見つけたのが1つ。通勤ルートの方が完成度高いのは、土の手入れとか日光の当たり具合なのか。まぁもう少し先になれば無農薬鴨農業しているから、たぶん相当注意深く手入れしているとは思う。

 

あと、夕方の帰り道、歩くのにやっと慣れたくらいの小さな女の子がお父さんと散歩していてお父さんが10メートルくらい先を歩いて、女の子を呼んでいた。逆方向から歩いていき、ちょうどその間に来たとき、女の子が僕に不格好な笑顔向けてきてくれたものだから、僕もその女の子にだけ見える様に全力の笑顔を返した。たぶん同じように不格好だったと思われる。僕は上手に笑顔を作れない。くしゃくしゃになる。ふと、高校時代、同じ部活の同級生に、お前の笑顔は凄いみたいなこと言われたことを思い出す。未だに良く分からないから残っている。文脈としてはモテみたいなところだったような気がするけど、笑顔に惚れたと言われたことはない。仮説としては、無防備さかなとも思わなくもない。

 

さておき。

 

本の話。

 

ずっと手を見る。終わってしまった。なかなか共鳴がある本だったけど、なんというかちょっと前の精神性だったかなという感じ。いろいろぐちゃぐちゃして最終的にどうなるか分からない、みたいな、恋愛模様の中にある、個人の心の空白みたいなものがテーマなのかな。

この感覚も分かる。実際自分の感情がほとんど感じられない時期もあった。けど、いまや割と毎日にまにま過ごしている。穴を埋めてくれたのは想い人なのだろうなぁとはしているけど、これとは別に、要は、世界にもたれ掛かることで満たされることがおかしいという観念。他人を自分の精神の充足という効果の為にしていては自分が見つからないということ。社会的自立ともやや違う話なのだけど、細かいな。社会的自立であれば社会に自分の感覚を委ねている訳で。

 

追加された本は、ずーっと前に買っていてやたとアピールしてくるから、満を持しての社会契約論。ルソーさんなんて歴史上の人物でしかないと思うかもしれないけど、今の政治観のベースにある思想だから、別に古くはない。王様の権力を神様から国民の委任契約だと変革したもの。あんまりおもしろくないからここまで。

 

小説枠だとずっと手を、を読み終わる前の昼休憩までさかのぼって。「真夜中の」っていう言葉が含まれるタイトルの小説に目が行ってしまうのは想い人効果だろうなと思っていた。ライトノベルなのだけど、73頁まで読んで泣けるかはともかく明日買ってくるに違いない。

 

 

世界がどうなっているかで沈んだり不安になっている人も多いだろうけど、その感覚は、例えば紛争地域で住んでいたり、リストラにあって生きていけなくて切羽詰まっていたりする人とどちらが重いのだろう。現代医療で治療できない病にり患している人とか。なんというか、自分は他人事ではないコンテンツ化されていた危険が自分の身に降りかかる可能性があることが可視化されただけのような。

 

なので、僕はいつ終わるかが定かではない個人的な楽しさを謳歌するだけ。

 

文体が好きな人の日記が毎日更新されるってなかなか在り得ない世界線だと思う。中身がないブログだったらあるかもしれないけどそうでもなくて。僕は誰にも求められない方が更新できる訳で完全な自家発電なのだけど、公開を続けることって他からエネルギー補給が必要なのかもしれない。

 

もちろん想い人の話。あとは森博嗣さんのブログも良かったけど、こっちは割と商業的なニュアンスがあった。

 

想い人が、自分の文章において言葉を意味ではなく文字として捉えているって書いていて、なるほどなと。小説読んだときに、文字の並びがとても整然としているのは自然ではなく意図だったのかと。

 

後付けではないことを確認するために自分の日記を語句検索していていくつか自分の日記を読んで思ったけど、僕の文章は文体が確立されているらしい。言葉の配置とか気にしていないけど、なんとなくの調和がある。あとは体言止めが好きとか、基本的にふんわりしているとか。

 

この文体でもっとできることないかな。

 

では、また明日。

 

世界が安らかでありますように。

 

おしまい