からふる
どれくらいぶりの直書きだろう。スマホの画面はとても小さい。キーボードはBluetoothのものだからなんとかなるけど。元々前のPCが潰れたときに繋ぎで買っていたもの。
これこそ現実の不便さだろうと昨日の日記への反発のように、PCの電源が入らなくなった。放電処理しようにもバッテリー内蔵型のもの。もちろんドキドキしながらドライバーで分解したけど。分解作業はロマンだ。プレステ2も分解したことがある。どちらも直らなかったが。
確かに、ちょっと楽しみ過ぎたかなという感はある。しっかり夢ではオーガニックに良い思いできたし。いや、それよりもやや刺激的だった。顔が近いし口の感触は余剰だし。のどかではあったけど。
そうして。不便で言えばそうだし、あーあって感じではある。アニメをBGMにはできないし、YouTubeを聞きながらということもできない。
ただ、ほんとに現実感を伴った喪失感なのかというと、僕はそうは思わない。(逆ソクラテスのキーワードらしい、あとで書く)
データの吸出しもきっともうできないけど、日記データとか画像データはネットとスマホの中にあるし、勉強用に作ったワードとエクセルのファイルも必要かといえばそんなこともない。必要なのは自分の頭の中に残すことであって、作業の過程があればいい。
想い人とのメールのやり取りも消えたかーいや、頭の中に大体残っているわー、いやGmailは普通にスマホで見れるわと冷静になる。
BGMは、Nicoboxで米津さん。このあのアプリ、通信料が高かった時代に一回ダウンロードすればオフラインでも聞けるということで、取ってたけど、まだスマホの中に残っていたのかという感じ。
だからこれくらいの不便ではあんまり現実感はない。もともとこのPCも繋ぎみたいな意味でなるべく安いもの探しただけだし。次はどうしようかなとは考える。何だかんだタブレットに外付けキーボードが一番軽装でいいのかも。通信はポケットWi-Fiがあるから問題ないし。
そろそろAppleに手を出すか。
そもそも、不便の下限をみんな忘れているような。自己同一性がありながら、過去の自分を忘れるというのはなかなかご都合主義。もちろん、履歴書みたいな意味ではなく。
誰かと疎通する、伝えることがお手軽になりすぎて当たり前の下限がどんどん上がっている。前者であれば、電話することに時間単位で料金がかかった時代。遠距離恋愛でなかなか大変なことになっていた。LINEの前で通話が定額制だったアレにお世話になっていた。名前忘れたけど。
後者も、電話とかアプリとかSNSの発展でお手軽になっている。
別に便利になることは良いけど、これって、自分の発信を吟味する時間の省略でもある。発信者としての自分が優位になるというか。相手がどう受けとるかまで考える余裕がない。
僕の下限は、自分のことを伝えたいとそもそも思っていない。文明の利器が発達したから乗っかって表現はできるけど、贅沢なことだ。通話も通話的に接することが人と接することだと思っていた時期もあるけど、通話したところで、相手の何かと疎通できている訳でもないなと思う。
直に接したらどうか。これも分からない。人類時間では最近のかつて、会いに行って去り際にキスだけして帰ってそれから交信がなくなった人に対して、まぁまぁキリキリしているなって前情報より、直に接している時にはリラックスしているように見えたというのはあったけど、こういうのももうやってない。僕もその安らぎに当てられて安らいだというはあるけど。手も繋いだのだったか。
何の話か分からなくなってきているけど、僕は誰かと定期的に接していることが誰かと繋がっているとは思わないなぁっていうことが分かってきた昨今。下限が違う。
ところで、社会と繋がっていないという感覚は人を殺すらしい。某よく読んでいるブログでアメリカのレイオフとロックアウトで、これから自殺率が増えていくだろうって専門家が言っているとか。
まぁ、なにかと繋がっていなきゃ生きていないという感覚は生来のものだとは思う。それを愛情と読んだり愛着と呼んだりする。本当は人はみんな孤独なのだけど、孤独に馴れないほうが精神衛生上は良い。
でもこれって、生と死では生の方が価値が高い前提だから、個人的には疑問形ではある。確かに、相手に対して生きていてくれていた方が自分にとって価値があるという見解なんて、あんまり言えない。
関係としてではなく、対個人としての話。
逆ソクラテス。なかなか面白そうだけど、まだ最初の方だからなんとも言えない。なんだか伊坂さんも丸くなったなという感じがしないでもない。アヒルと鴨が好き。今のところ、全然逆ではないようなと思っている。
想い人考察、はあんまりしない方が良いな。
僕は個人的に想い人と平安時代レベルの和歌の交換くらいなところが楽しい。本当に交換になっているのかっていう意味も含めて。直感があまり働かないのは、未知の人だからだろう。
ここまで。
ではおしまいでおやすみなさい。