何が知りたい

 

 

 

springhoric氏に校閲をされて、綴りが違うのは何故かと言われた。あまり意識していなかったのだけど、別に中毒という意味合いではなくその前段階だったから、結果的には良かった。こういう思っていたのと違う方がオーライになるのはなかなか面白い。英語はまだまだ拡がってない。

 

あと、用途が朝の覚醒とか。そんなにすっきりするようなことは書いていない気もするけど、消費の仕方は人それぞれ。星人の自己解剖なんて朝には似合わないと思うが。もう1つ、僕の中に当人が居るなら文字で吐き出せば良いとのことだけど、そういうことではない。人はいっぱい居るし、吐き出しているのではなくて、自分の中に在る存在を描写しているだけ。それで、何かが消化されるとか、昇華されるとかはない。取り出して観測することで再解釈できるということはあるかもしれない。

 

読んでくれているから描写しているという面はありうる。読んでくれてないだろう人のことも描くから、ここは主要な理由ではない。

 

波さんは中身の話を書いてくれることが多くなったように観測される。良きこと。あと一ヵ月で死ぬなら、というテーマの議論に参加したいところだけど、僕は住民ではないので参加資格がない。たぶんあんまり変わらないような気がする。僕はそんなに未来を信じていないから。

 

前置き終わり。ここから長いよ。

 

今日は予定通り色々してきた。まずは散髪。着信があってなんだろうと思って折り返したら予約がぽっかり空いたので、早めに来ませんかということだった。残念ながら二度寝していたから早めに切ってもらうことは無理だったけど、この店員さんと通話するのもなかなか面白かった。そうして、ゲームと漫画の話をしながら切ってもらっているマスクを外した鏡越しの自分はちゃんと笑っていた。この人はきっと開かれた人で、開かれた人と接するのは嬉しいのだろう。いや、人がではなく精確には、人の開かれた部分ということ。この店員さん自分の仕事好きっぽいところが良い。この理容院自体の雰囲気が好き。

 

そうして、日本酒の試飲ができる店がこのマンション内にできたから行ってみてって言われ、行きますと言いながら店には入らずに早々に移動した。昼間一人でお酒を飲む気にならないので。これは厳格な自分ルールと思われる。ほぼ毎日飲んでいるけど、体調が崩れたり、頭が拙くなったりとかも思わない。これは依存症(holicの方)の言い訳に見えるかもしれないけど、まぁどう見られているかは関係ないな。

 

そうして、ちらっと見たこの日本酒の店、10年前ぐらいに新大阪でバイトしていたところの年下の社員が連れて行ってくれた試飲できる店だったなと思い返した。この社員さんと、恋人さんの名前も思い出す。一回だけ家に行って麻雀した。あと日本酒で言ったら、もう一回飲んでみたい冷酒がある。これは、また時空が飛ぶのだけど、3年前くらいに美味しい鶏料理の店で飲んだ生酒。あたごのなんとかっていう音は覚えているけど、詳細は解読できない。美味しかった。

 

でも、これって記憶力ではなく、走馬灯みたいなことかもとは思わなくない。僕は「今」の自分を自分と定義しないことによって自分のアーカイブを自在に観測できるようになっている。このバイト先の社員さん、僕の歴史には全く影響を及ぼしていない。全くは言い過ぎだけど、この人で僕が何か変わったことはない。と思ったけど、そういえば1つあったな。「〇田さん、人によって動きを変えているでしょう。」って見破られたこと。

 

これって、別に意識的にやっていたことではないけど、なかなか本質を突いている。

 

ともあれ。ここから移動。

 

移動のために買った本は、セックスを哲学しているようなあんまり外で読むような本ではないのだけど、僕の中ではとても意味がある本。石田衣良さんの娼年から始まる三部作の最終章。これも時系列で言えばどこになるのかは定かではないけど、もうなくなってしまったSNSでこの小説の主人公の名前借りていた。森中領。

 

セックスに対してはいまだによく分からないところはある。この小説では、女性の性欲の形は無限だっていうことで、いろんなフェチとか性感帯が出てくる。例えば、手を握るだけで達することができる70代の女性とか、口内と性感が同期しているとか。肉の快感をそこまで追求したことはない。僕は触ってもらったら気持ち良いところはあるけれど、自己申告はしないし、そもそも気持ちよくさせてなんぼだとは思うし、男の性欲が一定みたいに捉えられているのもなんとも。

 

僕はいちゃいちゃして、添い寝すれば十分だと思う。性欲とは呼べない気もするけど。

 

まぁ性の非公然性が歪さを作り出しているのはなんとなく分からんでもない。人を消費する概念が一番さらけ出される領域だし。

 

思ったのが、できるときにもっと楽しんでおけばよかったなって。規定値の中で動く必要もなかったなというだけ。これに関してはとくに後悔はないけど。

 

 

そうして京都に移動するのだけど、道中で見上げた雲の形がやたらと美しくて社会美学の本で見た、美の配分性という概念が出てくる。この概念、とても好き。ざっくり言うと、美しいものを見たら自分の日常のハードルも変化するということ。影響を受けている人は見たことないけど、僕がそうだった。

 

あと、脱自己中心化の概念。美しいものを見たら自分が脇役になるとのこと。これは良くわからない。エゴとセルフの観念は心理学なのだろうなと思うのだけど、この違いは主観的には不明確。そもそも世界を観る視点って自分以外あり得ないわけで、その中で自分すら登場人物でしかないのがセルフなら、一生そう。

 

丸善も人がやたらと多くて全然落ち着かなかった。お目当ての本を見繕って、あとは何かあったかぁって思ったらベッカリーアさんだったって岩波文庫の棚をうろうろして、グーグル先生に調べ方を聞いたら、ちょうど立ち止まった目の前の位置だった。

 

犯罪と刑罰というタイトルなのだけど、めちゃうま。訳者さんの情熱も含めて。中身の話書いてもよく分からないだろうけど、他罰性とか宗教感覚の刑罰が当たり前だった時代に、近代刑法学の礎を創る勇気。自分の肉より大事だったのだろうな。

 

知識はいっぱい肥えている現代人に犯罪とは何ですかって聞いたとしてもこれだけの知見は得られない。

 

最後。時間性の話。

 

僕は時間の観念なんてどうでも良いと思うけど、自分の体が自分の予定通りに動くという感覚がやっと分かってきた。義務も意思も要らない。で、これってある意味未来を規定することなのだろうなと。予定も嫌いだったけど、未来の時間を決めるだけであって、僕にはとくに影響はない。たぶんこの文脈の延長が思考の現実化なのだろうな。

 

思考を現実化したいって思う?

 

波さんの言葉って、あんまり本心ちっくではない。だから物語で昇華が必要なのだろうなっていう消費者目線とは別に。自分が生きていることを前提とした動きではないのに、なんで僕といつか飲みたいなんて言えたのか。生存とも生活とも日常とも全く関係ないですけども。社交辞令をする意味もないし。別にこの回答がなくても僕の中には存在しているから観測圏内から離れても残るけど。

 

まだあんまり自己統一できてないのかな。

 

僕もできてないけど。

 

もっと中が知りたい。

はい、おやすみ。