直観とは

言葉の意味を1個1個自分の中で再構成しようとすれば、きっと人生はとっくに終わっていて、誰かの言葉に一般的な言葉以上のものが含まれているに違いないと捉えれば状況を見誤るだろうし、正解はないのは分かっているけど、やや深みに陥っている。自業自得には違いない。

 

ついに、僕が他の所で日記を書いているのではと問われた。正面で問われたら嘘は言えないようにしているから、イエスと答えたけど、何を読み取っただろう。僕が意趣返しで目に触れないようにしたと捉えるのが直感ランキングでは一番高い。

 

諸々もろとも。

 

やや寂しい気分。個人的に寂しさがなくなるのは意識が飛んでいるかそれどころではない時しかないのだけど、原動力にできる寂しさと、できない寂しさがあると思う。ブレンドの具合でやや、後者が強いというだけ。

 

 

何処かに行きたい欲求は相変わらず高い。ただ、欲求の現実的段取りとして、できれば旅先でもこの時間に日記を書きたいから、ノートパソコンは持って行きたい。でも、旅はなるべく軽装が良い。となると、どちらを優先するかという話になってくる。ふーむ。どうしようもなくどちらでも良いなぁ。書くまでは、日帰りで行ける自然が一番多そうなところと考えていたのだけど、すぐ翻意しやがる。

 

旅。

 

僕の旅の像は、家族旅行から始まる。とはいえ、体感が残っているものはごく僅かで、伝聞とか写真がばかり。覚えているものとしては、石垣島のコテージみたいなところで泊まったときに窓にヤモリがやたらといたとか(なぜ父と僕、母、姉、妹が分かれて泊まっていたのかは分からないけど)、オーストラリアの中華料理屋で食べすぎてお腹を壊したこととか、コアラを抱いたときに、爪が思ったより鋭かったとか。

 

記憶を記憶としてちゃんと残すには、器としての統一的自我が必要ではなかろうかという仮説。というより、記憶の中で何を残して、何を忘れるかを決めるのは誰なのだろう、か。

 

そうして、大人になってから行った集団旅行としては、ゼミ旅行での天橋立と、元バイト先の同僚との厳島。でも体感として残っているものが全然拾えない。というのは言い過ぎだけど、この記憶は全然生生しくない。

集団旅行じゃない旅だとだいたい生生しいのだけど、何が違うのか。って考えると、たぶん個人度だと思った。人数が増えれば僕が僕として体感するタイミングが少なくなるのでは。と、これも書く前に思っていたものと違う。僕としては、一番良かった旅がそもそも寂しさとセットだから、旅の概念が哀愁を誘う。

 

じゃあこれを決めたのは誰かって言ったら、そりゃあ自業自得でしかない。であれば更新可能であるわけで、そういう体感も確かにあったなと思い出した。

 

大学時代の友人の結婚式に鳥取に前乗りしたときに、飲みに行ったバーで三時くらいまで知らん人と楽しく飲んでいたこと。名前は忘れたけど、カクテルが趣味で、マスターのカクテルの技術を盗むために飲みに来ていているのだって言ってなぁ。生生しや。

 

どこ行こう?

こういう時車があれば効率的なんだろうなぁ。ペーパードライバーが何を言ってんねんだけど。京都、兵庫、奈良、滋賀、和歌山、何処が電車で日帰りできる一番いい自然か。ハチ北は電車で行くようなところではなさそうだしなぁ。とりあえず、今までの誰とも行ったことがないところに行きたい。

 

エゴの塊。

どれだけ個人主義なのかって思うけど、共通の体験では人と人は繋がらないのではないのかと思ってみている。共通の体験があっても何を生々しくするかっていうのは人それぞれである。

 

さておき。

 

また思考の話だけど、だいたい哲学書って読んでいて腑に落ちたりはしない。共感ができる内容ではないから。

 

こういう時思うのが、読むときと、書くときとか発言するときは言葉の扱いが違うよなというというところ。読むときは諸々が混在していても構わない。必要な姿勢は混在を混在として認めること。ただ、発するときには自分はこういうものだっていう評価が自分の中で必要になってくる。雑いな。

 

でも、なんとなく救われた気がすることがある。知覚内容とか感覚内容みたいな観念は良く分からないけど、直感は良かった。原文は忘れたけれど、直観は物事を最初にどう見るかだけど、本当の最初ではない。最初は観察であって、それを踏まえて物事をどう見るかっていう自我から生まれるもの。つまり、直感は第六感みたいな超常現象ではなくて、自分がどれだけ調整してきたかというものでしかないということ。

 

僕の直感はだいたい当たるけど、これは僕にとって都合が良いみたいな調整をしてきていないからだと思う。ただ、この感覚で人間関係が構築できるのかと考えると、きっとできない。僕は相手に自分に良いように要求できない。

 

 

あと、思考に関しては、どんどん話が進んでいる。視覚がない人には色彩がないみたいな話があってややこしいことこの上ないけど、救われたのは繋げるのが思考だっていう話。

 

 

繋げるっていう観念が大事だなって思っていた時期があったけど、何処にも誰にも共感がなかったからあぁ僕は単なる変人だで留まったけど、ここに仲間が居たんだって。仲間って言う感覚もずれていて、ただ体感が一緒とか好きなものが一緒ではない。

 

もう少し先がありそうだけどここまで。