何のためにつづる

城崎温泉に行きたいと思ったけど、調べてみるとかなり観光地チックになっていて志賀直哉さんの城之崎にての世界ではないなぁと。結果的には引きこもったけど、体が何処に行くかと同じくらい、何処に行けるかを考えるのは大事かもしれない。そうして、可能性の外をもたらすのは縁、というのが物理的世界の話。

 

ただ、縁をどう結ぶのかは当人次第で、この結び方が個人を創る。この結び方が概念なのかなと先読みしている。

 

食と性の本は、こういうのにまつわるタブーの話になった。人は糞と尿にまみれて生まれるとか(物理的に)。適切には間だろうけど、こういう研究は読んでいて楽しい。

 

面白いというか、これって人間関係の本質なのかなと思ったフレーズ。童話とか神話とかで自分の世界から外れた世界に行くときに現地の食べ物が問題になるっていうのが前提。新しくは千と千尋の神隠しから古くは古事記イザナミイザナギの話まで。

 

そうして、食に危険が伴うのは、食が「他者を自己に取り込む行為だから」とのこと。

本には書かれてないけど、要は、自分が変化することへのおそれ。そういうのがないなら、取り込んでいることに無自覚なのか、取り込んでないと思い込んでいるのか。

 

 

この文脈で、思想を主張する人について考えてみる。

 

例えばフェミニズム。というか観察対象がいまのところここにあるので。ある人が、自分のパートナーのことを旦那とかご主人とか呼ばないでくれって言っていた。待てと。完全な内輪なら変えるように言えば良いけど、そう呼ぶの単なるビジネスないし社交的記号であって、当人の個人的関係なんてどうでも良い。これを個人的な関係に関係の外を合わせろよって言えるだけで何かがおかしいことになっているのではと。

 

外が合わせるメリットが一切ないところでこんなことを主張するとか。現実で言っているとすれば、その場に合わない人だけど、たぶん現実で言えないことをつぶやき場で表明して仲間が欲しいのだろう。

 

これはこれで良いのかなって思わなくもないけど、個人の関係とその外を混同していてなんだかグロテスク。物理的な生生しさっていうより、自分の都合の良いように世界があるべきだっていう欺瞞が。

 

 

呼称ないし名前が自我にとって大事なのは分かる。けど、これって、自分が具体的な人を

どう呼ぶか、具体的な人からどう呼ばれるかじゃないかって。公的に認められないと名前じゃないって、自分がなさすぎないかと。

 

夫婦別姓の話とも繋がっているのか。

 

一番は、自分の見解を語るのに、これは学術的なフェミニズムと繋がっているのだって言わないといけないところ。これって変な話、自分の出張で他人を傷つけても、思想ないし学問のせいだって他責にしたいのだろうなって。

 

フェミニズムは男女同権でどっちの性も楽になるって言っているけど、この時点で全然個人じゃない訳で。本当に性にこだわっていない人は、とっくに個人的に離れているような。そもそも学問に期待しすぎている。学問って恣意的に研究対象を区分けしないと成り立たないものであって、誰かを掬うみたいなものではない。

 

学問はあくまで、自分がそれを踏まえてどう思考するかっていう道具でしかない。伝統的思想もきっとそう。とすれば、別に個人じゃなくて良いのだろうなって。というか、個人の部分を殺して良いのだろうな、か。

 

確かに個人で在ることなんて何のメリットもない。何処かに属した中の1人って考えた方が、仲間はできると思う。学問とか思想を盾に語る人は、自分で思考している人ではないのだろうと思うだけ。知識はあるのかもしれないけど、言葉が全然美味しくない。

 

 

戻ってきて、基本的に言葉って、排泄物に近い。というのは、言葉を吐いた時点でもはや当人から別の物体だし、なんの配慮もなく汚い言葉を吐ける人が多々いるから。怒気が混じった言葉とか言葉じゃなくて行為だし。行為に付随している言葉は純粋な言葉ではない、いやなくもないのか、分からん。

 

排泄物でありご飯であるって、なかなかのグロテスクさ。

 

食の危険性を持ってくると、取り入れた言葉なんて自分の物理を構築しないしお腹を壊すことなんてないし、不用意に投げられるし、受けられるのだろうけど言葉は、精神的世界に色濃く影響している。言葉遣いが移るのがそれ。言葉遣いと思考形式は連動する。この連動は観念にも繋がる訳で。

 

僕の言葉遣いはもはや何弁か分からないところにある。素朴な僕はどう話すのだろう。

 

ということで、僕があまり人間関係を構築できない理由。

他者を取り入れるのことはいくらでもできるけど、自分を取り入れられることにかなりの禁忌観念がある。自分の不浄感が半端ない。これってなんなのだろう。

 

酔ってればこのハードルを越えられたけど、今や酔っている状態でどれくらい考えられるかの段階だから、もう越えられないだろうな。

 

 

ということでおしまい。