分岐
髪を切りに行ってきた。あまり定着しないけど、ここは良い。2人だけで他店舗から独立したお店で前の店舗も知っているけど、空気が良い。好きなことやっているのだろうなという色合い。2人ともよく喋るけど、プライベートをがつがつ詮索するのではなくて、自分のことを語るから、あまり苦にはならない。対話下手にはキャッチボール形式の言葉の交換はしんどい。あれ。
本日の会話も漫画のキングダムと近所の祭りのことがメイン。サブとして僕の毛量の多さの指摘。担当の人も毛質が似たところがあるらしく、上手く梳いてくれるところもよき。花火がかなり至近距離で上がるとのことで、あまりに楽しそうに語るから、一瞬行こうかと思ったけど、ちょうど百均に寄る用事もあって、花火の時間とはずれていたけど、雰囲気だけは味わえた。神輿というか山車みたいなものは見られた。
車輪がついた神輿なんて、なかなか楽だなぁと実家の神輿を思い出す。集落の一件一件を回って、わっしょいわっしょいするのだけど、集落間の距離がここら辺でいう市バスのバス停2つ分くらいあるし、車輪もないから山道を皆で担ぐしかないという苦行でしかなかった。ただ、銀杏が美味しかったのも覚えている。季節的にはもう少し先か。
ただ、祭りの起源が生け贄譚にあるというのを知るにつけ、楽しんでも要られないな
という気もする。祭が楽しいのはきっと共同トランスみたいな部分もある。
とはいえ、楽しい気分に充てられて本屋に寄ると呼ばれて大変だった。本に呼ばれるっていう感覚もある意味高次の世界か。結局買ったのは伊坂さんと、キングダム新刊と判例六法。六法はあと一月待てば最新のあったのに、先走ってしまった。まぁ先走ったことにもきっと意味があるから、あまり気にしてはいない。
伊坂さんは久々。案山子が出てくるのが一番好きかなぁ。友人は伊坂さんを近しい人が性加害にあったのだろうなって分析していたけど、僕としてはもっと広い意味で、世界にはどうしようもない悪意が存在していて、それに合ってしまうかどうかはたまたまでしかないっていうテーマがあるのではないかと感じる。悪い意味での縁。
で、今日買ったのは、タイトルからしていずれ読むだろうなと思っていた本。アイネクライネナハトムジーク。おそらく良い方の縁に寄った本。一編読んだけど、たまたまの良さが滲み出ていた。結婚も悪くないなと思い込めそう。出会いはたまたまだけど、後から振り返って、あの時出逢ったことが当たりと思えることで関係が決まるみたいな。
この文脈で言えば僕は当たりだらけだったと言って良い。ただ、相手にとっては当たりではなかったというだけ。
それでも、結婚自体を良いことだと思えない自分が居るからなかなか大変。結婚式は楽しいベントだと思う。ただ、制度としてはどうなのか。印象操作で良いものだとしているだけではという考え方。幸せの定義が十分だとすれば、十分は外から来るものではない。
僕を好きになった男の人が、運命論について、全ては選択だって言っていたことを思い出す。これも一理ある。選択できるっていうのは自由であるための最低条件だとは思う。けど、選択の定義からして、現状の自分でしかないから、選択の外がやってきたときに対応できないだろうなと。選択は既知には力を持つけど、未知には、未知を選ぶだけしかできないのでは。細分化された選択肢なんてないだろうし。
僕の選択の定義はもっと素朴なもので、例えば今日、帰り道の最短ルートから外れた道端に猫が座っていたから、猫を眺めるためにそのルートにずれることを選べること。かの猫氏は微動だにしなくて見つめると凄く嫌な顔をされたけど、それでも十分満足できることを選んだと思える。
というところから、僕の対人ものさしを考えると、僕に関係するっていうのはずれでしかなくて、他人には最短ルートを選んだ方が良いよっていう思想がある。
我ながらなんともズルい奴。
こいつ相手を誘導しているなって観測できる。誘導も自分の利にならないっていう限定であれば悪いことではないのかなぁ。
選択と縁に戻ってくるけど、僕はどっちも大事だと思う。けど、どちらが優位かっていうと縁の方。これを主観的なものとしてとどめたいっていうのはわがままなんだろうなぁ。
それでもやめておきなさいって願わずにはいられない。
ところで。
神秘修行の、理解は将来のために留めておくっていうフレーズは良き。
現状理解が及ばないものなんてほぼ無限にあるけど、そのうち分かることができるっていう留保は生きる価値を見出せる。
世界は美しいし、人は好ましいし、ご都合主義でしかない。このご都合を創ったのは自分なのだけど。自分が誰かのノイズにならない限り。
変なの。
一方的に好きであれば良いなんてエゴでしかないのに、いまややすやすと成立する。
どうか好きにならないで、までいくと、もはや妄想の域でしかない。
まぁ良いや。
皆が幸せでありますように。
おしまい。