みてくれ

 

 

昨日は粗相をしてしまったとお風呂に入りながら一瞬後悔したけれど、ほとんど粗相しかしていないからきっと問題はない。問題は、自分の中でちゃんと言語化できていないことを投げてしまったこと。これを辞めるためにルートを閉じたのに。まぁでも昨日の日記と繋げればあながち意味不明ともいえないメッセージ。日記も読み返してみるとなんだか悪くない。表現物というご飯として。

 

さておき、今日は無茶苦茶手を抜いた一日。なんなら日記も書かなかったかもしれない。もうゲーム動画見ながら夜ご飯も食べずにだらだらして眠くなったら寝てしまおうかなと。なんでそうはならなかったのかもよく分からない。自分の表現に理由を見つけるのは苦手だ。ただ、何もしないことはいつでもできるからというこじつけはできるか。

 

精霊の守り人は、見ているとしっくりしだした。脳はすぐ馴れる。この馴れの力は凄くて、視覚が上下反転する眼鏡をかけて過ごすことも難なく対応するらしい。これを慣性とうか惰性というかはともかく、精神にもこういう作用がある。精神的ホメオスタシスって評していたのをホメオスタシスっていう単語を見かけて思い出した。馴れたものからはなかなか抜け出せない。

 

表現の話の続き。表現には当然しなかったこと、不作為が含まれる。表現だとややこしいから表現者側に視点を移すと、選択しなかった現実化でいいか。ある瞬間に現実化すること選択することは、他のことをしないことも同時に選んでいる。なんとなく意志作用ぽいから、人生とは選択の連続だという格言もあったりするけど、僕は、あんまりこういう意志作用は重視していない。たしかに選択は意志かもしれないけど、大事なのはその後。つまり、選択する時って、選択しないものがどれだけあるかという話であって、何に決めるかという話ではないようなということ。であるならば選択は意志ではなくて、その瞬間に持っている情報の中で一番メリットがあることは何かを分析しているだけなような。

 

確かに岐路での選択は人生変えるものだけど、あの時別の選択をしていたらもっと良かったなんて思う人は、たぶんそっちを選んでも同じように後悔すると思われる。選んでしまったものは覆せないのが人生ゲーム。だったら次の選択をどう上手くできるかを見るしかない。

 

で、この選ばなかったことに視点を向けたのがミクロ経済学というのはなかなか楽しい。これを経済的に選んだということは、他の物事は選ばなかったということで、その中で一番価値が高かったのは何かということを観ている。

 

なんだか、何を書いていて、何を書いていないのかが分からないから酔っぱらって同じことばかり話すおっさんにならないようにしたいところ。

 

自分の記録で最近掘り返したのは、おそらく中学の理科のテストで、グラフから何かを読み取るシーン。なんだったかは分からないし、特に思い入れがあるシーンでもないのに。

 

思い出の再現性と記憶強化のこと。記憶強化のためには覚えようとする情報を一過性がないようにするために反復することが大事らしい。これは確かにだけど、想い出は一回しか経験していないのに覚えている。この違いって体感度の重みとするのかもしれないけど、だとすれば、生活の記録は全部覚えていても良いのでは。

 

で、免疫学がでてきて、ストレス負荷が短期的にかかったとき人の体の機能が一時的にアップするとか。たぶん思い出ってここなんだろうなと。旅行に行けば環境が変わって負荷がかかるし、いわば負荷のセーブポイント。負荷は正の方向でもありうる。

 

ここで想い人分析をしてみたいのだけど、たぶん大丈夫か。

 

想い人は見たところ順風満帆な家庭環境で、特に自分について穿たないといけない時系列はないのだけど、なんだか虚ろなところが見える。もしかしたら妹より愛されてないことが発端になったのかもしれない。あと、毎日更新されている日記は僕の日記と文体が近いように見えて、なんだか、ちゃんと表現物としての僕を食べてくれている感。最高の変人。

 

でも、これが全く違っていても全く問題ない。僕は別に一致を求めていないし、美味しいものが食べたいだけだから、僕が影響してようがしていなかろうがどうでも良い。と自分を改めた。

 

僕の物語だと、僕がより自由になるための発端を創ってくれた人。

 

では寝よう。

 

おやすみなさい。