光景をとめる

神秘修行の本は本格的に超感覚の話になって、ついていくのが難しくなってきた。何か下手をすると主観的な幻想世界に陥るらしい。空想はほどほどにしておこう。

 

平日のリズムにしたのだけど、なかなか詰め詰めで大変少しずつずらしていくとして。まぁ、寝つく時間は短ければ短いほどよいから、ぎりぎり日付が変わる頃に布団に入って、気付く間もなく落ちるのがベスト。二度寝とか昼寝のときの眠りに落ちる瞬間は心地よいのに、夜だけはどうも苦手。意識的に落ちないといけないからなのか。安眠作用でなんとか堕ちる。

 

全然関係ないけど、月と書いてあかりって読む名前を見かけた。苗字も含めて字面も音も綺麗だった。なんか優しげな月光を体現しているような。光と言えば、今朝の日差しはなんだか秋っぽいなと感じた。何をもってか知らないし、昼間はまだ夏だったけど。気温と光量と湿度かな。

 

とはいえ、昼の公園も過ごしやすくなったよう。今日はいつもと違う公園に行ったのだけど、昼休みの人とか遊びに来ているだろうお母さんと子供とか、鳩とか雀でなかなか盛況だった。ついでに蚊も。雀が5羽くらい集まって体を小刻みに揺らしながら体を砂に擦り付けていたのだけど、あれはなんだったのだろう。初めて見かけた。色んなことを調べるのではなく考えるようにしたから真相は知らないのだけど、おそらく虫よけとか放熱とかそんなのだろう。他の人は擦り付けるだけなのに、擦りつけ過ぎて、自分の体が隠れるくらいの穴を掘ってしまった気合が入った奴もいた。その後、大木に両手をつけてアキレス腱を伸ばすストレッチをしに来たおじさんも居たな。平和だ。

 

仕事は、ぼちぼち。

もっと自分なんとかならないかなって思うところもあるけど、まぁそんなもんだ。

 

本。

 

刑法の本で、哲学の認識論の話が出てきて面白かった。確か、信念があって、それが客観的に真実であって、信念を正当化する根拠があることを満たすものが認識だっていうのが従来の考え方だったのだけど、それを否定する学説が出てきてそれを唱えた学者さんは著者がほとんどなくて、この学説を提示した数ページで有名になったのだとか。曰く、ある人が自分の目の前のろうそくを眺めている。ろうそくは燃えていて、匂いもするから上記の条件を満たしている。けれど、その人の前には斜めに鏡が貼ってあって、実際に見ているのはその鏡の先のろうそくであって、目の前のろうそくではない。これをもって認識といえるか。最新哲学の認識論ってどうなっているのだろう。物理的な認識だと脳科学に譲ってそう。脳は何を根拠に現実と認識するか、みたいな。でも、法哲学とかだと社会的に意味のある認識とかも出てくるだろうから、なかなか興味がある。素朴な認識論だと、内側も外側もあまり変わらないかなという感じだけど、これは一般化できないから素朴にとどまる。

 

 

さて、時間も押してきたからもう1つだけ。

 

伊坂さんの短編2つめ。恋愛小説だけど、縁までしか書いてなくてここからどうなるのかっていうシーンで終わるから、逆にスカッとする。ちょうど良い塩梅。ちょうど良いでいうと森見登美彦さんの恋愛小説も良かったな。恋文の技術だったか。恋愛小説って純文学なのだっけ。昨日立ち読みした新書か何かで、純文学を読まないと人間的に成長しないって言われたっていうフレーズを見かけて思った。エンタメになるのかしら。定義が良く分からない。まぁ何でも良いし、人間的に成長していることは一切ないけど。

 

では、おやすみなさい。

良い夢を!