生きてる実感

 

 

 

 

今週は労働時間が長かったから豆苗が安いというご褒美があった模様。豆苗に絹ごし豆腐のこま切れと鰹節をのっけたサラダ。新しいことができるのもご褒美の1つ。なんだかんだ昨日の日記の願望を叶えるナンプラー。初めて使ってみた。空心菜の茎の部分を塩コショウで炒めて、葉っぱ部分を加えて、ナンプラーを垂らして、なんとなく辛味成分の豆板醤を加えて炒め終わってから、カシューナッツを加えてエスニック? しかし、沸騰するナンプラーは臭かった。魚の腐敗臭なのかどうなのか。でも味は醤油に似ていて美味しいと思った。

 

ふと、くささの話。食材の臭みって、基本的には慣れてないからというだけ、セロリも駄目だったし、トムヤムクンに入っているパクチーも駄目ったし、ナンプラーに対する一瞬感じた嫌悪感もそう。魚醤は腐敗臭だから、生理的嫌悪感でやや違うけど。腐敗臭って単なる危険度のセンサーだし。

 

これを人間にするとどうだろう。僕は人の匂いを感じた時、同じくらい匂いを感じられていると思っている。タバコ吸っていても臭いは銘柄を推測できるくらい分かるから、吸ってない人は余計に、ただ、吸ってない人が匂いを放っていない訳でもない。

 

嗅覚は感情も思考も想起しないけど、生理的に厳しい匂いには皆敏感。

でも、この匂いへの感覚って、かなり本能的、というか肉体的なところに依っている。もう匂いの話はいいか。個人差の話だし。

 

ただ、頭皮の匂いの共通項は気になるところ。

まぁただの変態だけど、人の匂いは人の匂いでしかないよなぁと。嗅覚に感情が引きずられるのも分かるけど。

 

どちらかと言うと、匂いを嗅がれて嫌がっている態度(略

 

さておき。

 

 

昨日の日記のせいか、なかなか暴力的な夢を見た。

地元が凄くバイオレンスな治安が最悪になっていて、そこから離脱するという夢。夢というにはなかなか生々しい。だいたい覚えているけど、描写するには、まず世界観から書かないといけないから文字数がめんどくさい。あるシーンだけ切り取ると、逃れるために泳いでいて、水面の上に伸びている鉄筋の構造物をよじ登って、そこから飛び降りるとか。結局よじ登ったことは無駄だったって感想。ただ、体感として現実より生々しくて。

 

そもそも生々しさってなんだろう。これっておそらく生々しさをどこに置くかで当人がどこに生きているかが分かる、自己診断。

 

生々しさって、きっと生の実感と癒着がある。

 

細々言うと、自分の五感の中でどれが一番鮮度高いですかとか、夢時間と物理時間のどっちがとか、こうやって分析していくと、何が一番生なのかっていうのは自分が一番知っているはず。

 

僕は自分が生きているかどうかも別にどうでも良いし、痛覚とか観測はするけど、痛さで外が変わることはない。むしろ自分の五感での観測は自分の物だから、八つ当たりして代償を得ることもない。

 

怒りってだいたいは本当に怒れない何かへの代償と観測していいと断言したい。怒りでは世界は動かない。原動力としても効率悪いし。

 

ただ、体感として、風邪を引いたときはなかなか心細くなる。これって、自分が無理したしわ寄せで、お前には弱いところがあるのですよって体からの復讐。

 

 

んで、僕が生生しさを感じるのは何かっていうと、今ではないなって。今こうやってキーボードで打っている指の感触はあるけど、これは今なだけで、別に生だという体感はない。

 

つまり、生生しさっていう実感って、ある程度客観的でないと生じないだろうという問題提起。

 

例えば、僕が初めて演劇見に行った時の感触って、生生しく再現できる。出町柳と、今福なんとかだったかの間にある劇場に行った体感で、受付のお姉さんが、当日に行ったのに予約として割引になるようごにょごにょ相談してくれたシーンとか。

 

 

僕としては、記憶は劣化するという一般論の言い分は納得できないところがある。

まぁ酔っぱらっている時の劣化であれば、一般論と重なるけど。潰れていたら再現不可能だし。

 

この再現不可能性を飲まない人は強調するけど、まて。飲まないあなたは全ての日常を再現できるのかって返したい。結局どこかは選んでいて、ことさらここを強調する意味も分からんなと。

 

記憶を全て再現できるなら、全人類普通に天才だと思う。

自分が覚えていることを同じ体感をした人が覚えてないとき、これを体感を選ぶのは人それぞれだと思うのか、自分は覚えているのに相手は覚えてない(怒)とするのかどうか。

 

素朴な疑問としては、こういうとぎれとぎれの再現率の自分をどうやって自分としているのだろうと思う。相手に記憶を求める人限定だけど。

 

 

こういう意味で相手がどうとか思う人は、まず、自分をちゃんと捉えた方が良い。

これが修行なのかしら。

 

僕は相手が自分を見ている指標に合わすから、自分を心地良いと思う人にむささびの如く飛び移っている。ような気がする。

 

ついでに記憶の方がよほどなまなましいから、世界軸がズレている。

 

意味わかるかどうか知らんけど、物理的な時間軸での現実って、ただ在るだけだから、鮮明

な感覚軸とは別。

 

 

おしまい。

 

 

良い夢を!