囚われ
今日はなんだか本を読んでいる時に文字が上滑りした。感情が波打っているなぁという観測。悪い意味で。でも最近あまりない感情だから、観察してみる価値がある。
の前に、ご飯は空心菜と鶏むねの中華出しウスター炒めと、きゅうりの塩、梅肉、鰹節の浅漬け。とフリルレタスとブロッコリースプラウトのサラダ。
ともあれ。何が波打っているのかというと、今日仕事終わり間際で、ややこしいと評判の人に当たって、明日折り返しないといけないから嫌だなぁっていう感情かと思っていたけど、なにやらどうやら違う。自分の理解力不足で希望通りの答えが出せなくてもういいですって言われた別件についても感情的には残っているのだけど、それは別にどうでも良い。
なんというか、僕がそうなるかもしれない1つのパラレルワールド的現実化みたいなところ。
保留音楽で待たすときに、「保留でお待ちいただけますでしょうか。」って定型句を言ったら、「保留にするのは決まっているのだから、保留にさせて下さいだろう。」って。反射的に失礼しましたって返したけど。なかなか意地が悪いけど、正直この言い分は分からんでもないなって思ってしまった。僕もコールセンターに問い合わせた時に丁寧な言葉遣いなんてあんまり求めてないし、さっさと保留で確認して欲しいのはある。ただ、僕はそんなことあえて
発信はしない。
なんというか卑屈な人だと思った。先生曰く悪意を感じるという評価だけど、それも分かる。相手の弱い部分というか、応えにくい部分を的確について、ぎりぎりのところで攻撃するところ。個人的には悪意というより、サイコパス係数が高いのではなかろうかと思う。表層的には明日何を突っつかれるかを想像するとしんどいなぁという感情だと思ったけど、観察するとどうも違うのは。
僕も逆の立場だったら、そうなりうるだろうなと。やるかやらないかは別として、僕もサイコパス係数は高いし、良いところを見れるっていうことは、悪いところ弱いところに視点を移せば、いくらでも見える訳で、生活を楽しむ方向を攻撃に転換することだってきっとできる。
僕は係数高いだけで典型的なサイコパスの特徴である能力値は高くないけど、なかなか不毛な生き方だと思うと、なんとも共鳴してしまったらしい。自分の本質の嫌な部分を凝縮したような振る舞いだったから。そんなことやっていたら一生満たされなさそうだなぁって。
同情はしないようにしているけど、そういうことなのだろう。
だいぶ繋がってしまった。
先生が合わないと評するのも一種の同属嫌悪かもなと思わなくもない。(屁)理屈で人を御していたみたいなこと言っていたから、要は、相手がイエスとしか言えない方向に持って行く話術がかち合うのだろうなって。
なんとはなしに、僕の本質みたいな話になったな。
どっちが本当なのかではなく、どっちを選ぶかという話。僕はハッピーで居た方が面白いから、綺麗なものとか面白いものばかりを見ている。
ただ、自分が本当に底から攻撃しようと思った時の攻撃力は凄いだろうなと想像している。想像だけなら良いけど、常時と戦時で、戦時は知らないし、やったことない。と思われる。
係数は高いけど、違いは、サイコパスって結局は世俗的価値観に依存しているところ。世 俗的な価値観として悪とすることを平気でするとか、道徳的なハードルを平気で越えるとか。
僕はマナーとかのルールはどうでも良いと思っているけどちゃんと擬態するし、道徳的ハードルも関係ない、自己完結型サイコパス。
僕が嬉しいとか有難いと思う基準は、世俗からしたら随分ズレがある。
そもそも今生存できているのがたまたまだから、なるべく場所を取りたくないし、たまたま交信したことが有難いし、これが変わってくるのが、当たり前とされたとき。
別に日常に含むことは構わないけど、どこかの定点で自分の人格が固定化されるのは窮屈になる。
で、なんだっけ、出逢った人すべからく感謝の念で見ているサイコパス。
おしまい。
良い夢を!