変態論

 

 

アルコールを飲むから脳が小さくなるのではなく、脳が小さいからアルコールを飲む。そんな研究結果があるらしい。脳が小さいのは知っている。アルコールのせいで継続ができなくなったらそれは由々しきだけど。少なくとも平日の昼間とか休日の昼間に飲みたいとは思わないし、仕事に寝坊することもない。そんなことより一番由々しきなのは時空の一元化だろうけど、これは自分がしたいからやっている訳で、これで何か弊害が起こればそれは自業自得として受け入れよう。

 

まぁ良いや

 

関係ないけど、エウレカセブンの映画を見ているのだけど、全く見たことないやつだった。スマホとかアプリとかアバターとか、結構最近のものなのかな。アネモネが出てきたから初代繋がりで見たことあると思ったのだけど。なんだかエヴァンゲリオン序破急感がある。

 

アバターと言えばサマーウォーズだけど。あれも楽しかった。これも一元化のアレか。自分の中に爪痕を残している創作物は、いつでもではないけど、だいたい心象として再現される。

 

ともあれ。

 

今日は繁忙期だから30本取るを目標にしていたのだけど、残念ながら1本足らず。また、

悔しからずや。それにしても、同期も後輩もスゲーなというか、なんというか職場の人たちの凄さばかりが見える。別にこの凄さは良きが大半だけど悪きもあるし、それによって僕が劣等感を抱く訳でもない。ただただスゲーなと。

 

このスゲーさの根っこは、初めて旅行に行って北海道の360度水平線みたいな景色を見たことに近い。人の観念自体が刷新されているような感覚。

 

旧来だなと思ったのが、たまたまだいぶ年上の後輩さんとエレベーターが一緒になって、寒くなって来ましたねーみたいな話があって、昼間はあったかいけど、朝晩冷えてきた、布団から出られませんよねーって問に対して、しんどいですって心無い言葉を吐いたこと。僕布団から離れられないっていう感覚がなくなって久しい。

 

この相手に期待された言葉を吐こうとする精神性は唾棄すべき遺物だからやめたい。

相手の期待通りに振る舞っていたら自分は生きられない。恩がある縁があるでそういう風に現実化しなきゃならないっていうのは分かるけど、まず、良い大人が、自分の認識の範疇に相手を収めようとすること自体がおかしくない?

 

 

この命題に対して、大人とはこうあるべきだって人が、大人であることはこうだから、他人はこの大人の範疇にするべきだってなるのか、いやいや、大人とは個人の勝手でしかないから他人はコントロールするものではないとなるかは両極端だけど、結局は大人の観念も普通の観念も集合すれば一定だけど個人個人で考えたらブレブレ。

 

僕は普通じゃないことを自分で確定したからあえて普通っていう言葉を使っているけど、普通に使われる普通は自分を普通に含まれるものとして、普通じゃないものを糾弾するために使われる語。

 

僕は全人類個別に見れば皆普通じゃないという仮説があるから、自分がまともだって思い込んでいる人は全く信用ならない。その普通、ちゃんと自分で分析した自分なのかと。

 

こういう言語の誤用は自分の時間軸でいちいち恥ずかしいのだけど、でもそれは戻せないから、今以降に生かすしかない。

 

という視点で見ると、仕事はフィードバックで改善できるけど、人生は取り返しが付かないっていう意味で、自分を生きる方がよほど大変。

 

自身をまるっきりみているのは自分しかいないし、この自分って他人とか経験とは繋げないようにしないかぎり独立している。

 

 

僕の「大人」のモデルケースは母親なのだけど、母親が独立した人格を持っているようには見えない。なんだか予感的に、今度会った時に母親を泣かせそうな気がする。

 

 

はい。おしまい。

 

願わくは、自分が誰かの足を引っ張らない存在でありたい。

 

 

おやすみなさい。