世界の食べ方
退勤間際から1時間半ほど通話していてなかなか大変だった。声色から馬鹿にされているのは分かるのだけど、僕も理解が薄い部分だったからそう思われても仕方ないなぁと思いながら、どんどん噛み合わなくなっていく。精進不足はしゃーない。フィードバックして精進するしかない。
さておき。
もやしと豚こまという時短に頼りつつ、レンコンを追加。少しレンチンして酢とゆかりで和えただけで美味しい。ミニトマトがなかなか安くならないことでむしろ栄養価が豊富になっているという。
なんだろうな。
こう、交信しつつ自分を剥ぎとっていくと、自分がどれだけ不器用なのかが分かってくるなと素朴に思う。歩みが遅いともちと違うけど、なかなか言語化しづらい領域。
まぁこういうのは、決まった関係がほぼなくなったことにもよる。揺れて波打つ人格をお互いの人格で楔を打つという効能もきっとある訳で。僕が宝くじ当たったとしたら一番したいことは母親が今まで僕にかけたお金を全部返して縁を切ること。これでええよねって。素朴な情念で繋がる関係もあると思うけど、僕が母親から受け取る情念はそうは思わない。これも、きっと僕が更新した人格を表現していないことによるから、自業自得ではあるけど。
これもまた違うか。
何か悲観的に書いているようだど、中身はどんどん安らかになっているから、全然悪くなくて、寧ろよい。何が良いかというと、同情という感情はやはり悪いという結論がだいたいでたこと。同情できる人が優しいことなんてない。同情の起点は他人の感情じゃなくて自分の感情。これを分かっていれば良いけど、同情を駆使する人ってほとんど気付いていない。
経験則だけど、大学時代知り合いが痙攣起こして救急車を呼んだことがあるのだけど、この時に同情なんてしていたら、相手は助けられない。可哀そうだ苦しそうだって感じているだけでは現実は動かない訳で。事後に当人から凄く冷静だったなって評されたけど、別にこれが優しかったかいうと違うだろう。
心配論が嫌だなって思っていたことがやっと可視化できた。心配している自分に同情せぇやって言い分なのだろうなと。僕にそういう風に釣り針を下げると余計に返したくなる。だから母親との会話は嫌なの。
ここで、好意を示す言葉について。
好きは、同情を含むからあんまり使いにくい。使えそうな人にはいっぱい使うけど。嬉しい楽しいよく眠れるは一方通行で良き。好きは感情の話だけど、嬉しいとかは現象の話っていう意味。あなたのことが嬉しいという分は違和感あるけど、あなたが存在していてくれていることが嬉しいであれば成り立つし、あなたの存在が好きも成り立つ違い。
つまり、現象として好きだっていうことが分かってくれそうな人にはいっぱい使えるということ。
僕は、僕に意思をもって関係してくれている人はすべからく嬉しいし好き。
あなたが生まれてきてくれて(ぼくにとって)ありがとうという意味合い。
同情というか、恋愛感情というか、番みたいな好きになると、僕はあなたとつがいになりたいみたいな観念になるから言葉としてのノイズが入ってきて使いにくいし混同していた。言葉による振り回され。僕が好きだと感じた人はべつにつがいになってまぐわって子をなしてみたいな観念のものではないし、性欲を解消するのに適した相手でもない。性欲は自分で慰めた方が手っ取り早いし。
要は、自分に何かが返ってくると思う感情ではない。むしろ返ってきたとしたらもともとの感情とは独立した嬉しき現象でしかない。隕石みたいなもの。隕石が降ってこないことに心配することはない。ちゃんと生きているかなーって考えることはあるけど、これは隕石にとって意味があることではないし、意味があったらやや嫌だ。
自分が不器用なのはこういうところ。
他人を観察していると、ふつうにつがいになっているし、ふつうに自分の同情的な言葉を公に吐けるし、それでも人格が独立しているのは、言葉とか観念を上手く自分と外で分けているのだろうなと。統一しなくても矛盾を感じない感覚は素晴らしい。
まぁ、不器用で良かったなと思っているけども。
この不具合があるからこそ見える世界もあって、自分に不満があっても世界に不足はないし。
自分に不具合を感じてないと変更はないしね。
これを読んだ人、皆生まれてきてくれてありがとう。
おしまい。