誰が自分

 

継続はなんとか耐えたけれど、なかなか心に重く来る出来事があった。仲介業者から住民から苦情が入っているよーっていう紙が入っていて、なかなかヘイトが籠っていた。中身は、大声で深夜、夜中、早朝に大声で話す騒音が酷いという内容。

 

冷静に考えれば、僕がこの時間帯で起きていることはあんまりないし、人に話したらこういうのは全部屋に配るのが更なるトラブル回避なのだと言われてまぁそうだなというのも分かる。元凶はどう考えても両側の隣人だろうと。0時以降とか6時に洗濯機を回すとか、やたらと声がでかいとか、あぁもう1つ思いついた。この隣人のどちらかが、僕が深夜に通話したことを誇張化したとか。会話っていう限定が気になる。被害性を訴える人って自分の加害性に気付かないし。と思ったらまた洗濯機回している。現在10時半過ぎ。

 

ただ、昨日の日記の終わりの、願わくは人の足を引っ張らないようにって書いたところにこのチラシだったから、なかなかダメージを受けた。心当たりがない全くない訳でもないし、もしかしたら誰かのストレスになっているのかもしれない、とか。

 

根っからの加害者思想が染みついている。これが何故なのかは分からないけど、一回被害者の位置で生活していたことがあって、この時、むちゃくちゃしんどかったからっていうのがあるのかな。この傷を起点にする感情って、傷から離れられないから自分じゃない。いや、まぁ自分ではあるけど、傷を人質にして相手をコントロールするなんて人の所業ではない。いや、寧ろこれが人の所業なのか。知らんけど。対象に対する依存症でしかないと思っているけど。

 

僕は加害者思想の方がマシだと思っているだけ。

人は何が地雷になるか分からないし、生きているだけで他人のことを傷つけてしまうことは否めない。これは自分が抑圧されているだけっていう観念を持っている人には通じないことだけど。

 

僕は、傷ついたより傷つけた方が圧倒的に多いなーと自分時系列を顧みて思う。相手は底まで傷ついた感覚はないのだけど、自分に刺さったナイフより、自分が指した針の方に感触が残る。

 

つまり、僕は基本的に自分の存在が誰かを傷つけているのではないかというのを起点とせざるを得ない。この前提があるから関係は運と意思だということになる。僕はあなたにとって都合が良い訳でもないし、ちゃんと意思があって僕を選んでいるのよねって。比較するならもっと良い人と関係した方が良い。

 

ナチュラルに人を害する可能性があるのが自分だって思ったことがある人ってどれくらい居るのだろう。素朴な疑問。なんで世界から一方的に害されていると思えるのだろう。摩訶不思議だわ。

 

誰かに行動が規定されているって人間として異常。仕事ならしょうがないけど、プライべートでこれをしようとする人は普通だ。独りでいることは寂しいし怖いに違いない。基準がない状態で自律することなんてできないから、基準はどこかから持ってくるしかない。

 

 

この基準論が人を判断する基準。僕は相手の基準で自分を見られるとその相手に合わせてしまう傾向にある。貴方は貴方で良いってまっさらに言われた経験がない。

 

ミスターチルドレンoverって曲があるのだけど、君を創る全ての要素を愛していたのにーってフレーズが真理かなと。

 

 

 

 

内部的な妄想だけど、祖母の米寿の時に、母親を外した後に、叔父たちに母親の精神を何で野放しにしたのだって聞く。自分の非を子供に再生産する親は良くない。こうやって言ったときに年齢マウント取って来られたらもう離れるしかない。血族は幻想でしかない。

 

 

こういう文脈で、母親を泣かしてしまいそう。貴方が自分ルールでやったことを子供から返ってくると思っている時点でこどもを人として見てない。僕は貴方を環境として利用しているだけ、とまでは流石に言わないけど。おじさん達、何故に姉をここまで放置してきたのって聞きたい。被害者意識でしか自分を保てなくしたのは罪があるじゃないって。

 

いや、これも分かる。人は結局自分だし、自分の範疇でしか他人は見られないから、しょうがない。きっとおじさん達も、母親に抑圧されて来たのだろうなと。

 

ひとはそんなにひとではない。

 

おしまい。