なかなか変な夢を見た。温泉街みたいなところで温泉には入っていないのだけど浴衣。なんだか不自由というか何かを忘れている感覚が付きまとう。他にも色んな世界を移動したのだけど(起きたりまどろんだりしたという意味)、最終的に目覚めたところはベットに縛り付けられた一番不自由だったというオチ。2001年宇宙の旅バタフライエフェクトの映画考察読んでいたからか。二度寝以降は直前の頭の中にあったことに左右される。出てきて欲しいと想う人は今の所出たことがない。世界の外だからか。

映画が見たくなったから何か借りようと考えたのだけど結局は現実化しなかった。現状だとそれほど贅沢に時間を使えないということか。ただ、僕が言う可能性的世界には、こういう考えたけど実現しなかったことが含まれる。何を衝動したか、というのは現実化しようがしまいが素朴な自分だから自分を再構築するためには不可欠なもの。とういう風な視点で見ると、現実化したことって単なる可能性の1つでしかないという。現実とは、自分が認識したことではなくて、他人が観測したことなのでは。なんで相手にそれをしたのか。

ともあれ。十二国記の最後の1章はエピローグだった。作者さんの手法として物語は勝手に続いていくというのがありそう。読者の想像に丸投げするのはなかなか凄い。読後感としての寂しさないもの。

こういう感覚が突拍子もないと思えるのは無知の塔のブレンドだったりする。他人に対する可能性世界の発露は相手に委ねる所にありそう。予見も期待もないところにあるのが

純粋な関係。でもなくて。再現できるかな。

人の世界に対する認識って自明だとしているのだろう。素朴な認識においては世界がどう在るかは関係ないみたいな当たり前の世界に生きている。でも、その当たり前は世界というか現実から学習したものでしかない。というのも、物理学史で、自分が生きている世界が中心で世界ないし宇宙が回っているという認識が当たり前だった。歴史で習った天動説。今の世界は地動説になった訳だけど、この認識が変わったことが素朴な自分に対する認識を変動させなかったと思えない訳で。いや、地球が動こうが宇宙が動こうが素朴な自分は変わらないっていう自己認識も良いけど、当たり前として在る知見に基づいていない自分はどこまで居るか。

たぶん天動説の時の素朴な感覚って、割と他責的な比率が多かったと思う。今も蔓延っているのは、これが素朴な価値観と整合性が取りやすかったからだろうと想像する。宗教の世界。宗教的価値観は超然の存在に自分をある程度委ねられるからショートカットできるわけだけど、常識とか当たり前に委ねていることを考えれば、単なる程度の問題なような。

これだけだと何を言っているのか分からないけど、共通感覚論による人間の感覚の発達史を追加して。当時も今も視覚優位な世界だけど、視覚すら経験則で判別されるとか。例えば遠近感を把握するには触感との協働で培った経験がないと無理だとか。見えているものは真実だとするのも注意が必要なのだろうなと思った。錯視とか考えるとすぐわかる。五感の何に頼るかって個人問題な気もするけど。自分が見たことしか正しくしないとか触った物しかとか。直に触れていないものを現実とするかどうかって可能的世界に収束するような。

結局は、自分が食べてきた時系列を前提としてしか今はなくて、この今は新たな知見でたやすく覆されるものでしかない。でも、自分が食べてきたものを吟味することができたなら、その中に本当の自分が見つかるかもしれない。この文脈では、自己認識とは閉じた世界にしかないということになりそう。まぁ人間の頭の中は矛盾のオンパレードだから矛盾をちゃんと見ればある程度は自分のことは分かりそう。他人の矛盾はそうそう分からない。重きに置いている感覚がずれているから。というか、自分の感覚のどれに重きを置いているかを宣言できる人っているのかな。

僕は目から情報を採り入れているけど、目は主観的だと思っているのが常々。触覚は手が司っているけどての感覚も随分スムーズになった。たぶん普通に器用な人は自分がしようとした体の動きがダイレクトなんだろうけど、僕はそこまで直結してないので。あと、言葉は見るものじゃなくて食べるものだという感覚が強い。自分用の言葉かどうかを気にするのは誰のための料理なのかと同じ意味。誰に対しても同じように使う言葉って美味しくない。あと、聴覚もきっと協働されている。

自分が自分の現実を支配しているかどうかが分かるのは新しいことをした時だと思う。新しい時には経験則は使えない訳で、だからこそ。

最後。可能性的世界では、自発的な現実化が意味を持つ。例えば相手に好かれている限り好きっていう条件付きの現実なんてなんの意味もない。自分が想っているなら明確に拒絶がない限り自発的に世界を創ればいいし。相手に想われていないと想えないって関係としては正しいけど、当人の中で正しいのだろうか。経験則でやったことがあって、なかなかぼろぼろになった。

 

世界は人の数だけある。

 

良い夢を!