小休止

久々に朝ごはんにフルーツグラノーラを食べた。なかなか美味しい。そしてなんとなくリズム掴めてきたと思ったら帰りに牛乳を買い忘れる。まぁこれくらい気が抜けているくらいがフラットな気がする。肩の凝りも心なしか柔らかくなっているし。張りつめ続けた糸は撓んで、本当に締めなきゃならない時に役に立たない。

 

夜ご飯も、ひき肉と茄子があるわと思って、白菜入りマーボー茄子を作ったのだけど、炒めが甘かったし、片栗粉も少し足りなかったし、あんまり上手くいかなかった。味付けは旨いのに勿体ない。まぁこれも緩みの一環でよろしい。

 

そんな感じでねじが緩んでいるから、特に思考の残像が残っていない。ふと思いついたのは、人は変わったことしない方が制限少ないよなということ。嫌煙の風潮だから、屋根がついた喫煙所ないなぁと雨に降られながら。考えまとまらないポンコツ

 

あと、緩んでいると、生身の感情が見えやすくなる。締めても存在しないことはないだろうけど、魔が差す余地が多いというか。人間的で良いかと思うけど、こういう感情は距離を置いて眺めるだけにして、あまり同調しない方が良いだろうなと思う。話し相手が居ないメリットはここ。日常生活はどうしても悪いことの方が記録に残りやすいだろうし、口をついて出た負の感情はきっとそのことで増幅するし後を引く。

 

逆に今日帰ってきて、ふと、もう水曜日が終わったのかと自覚して、時間の流れを早くしてはいかんなと、時間の意識だけは締めようと思った。年を経るごとに時間の速度が速くなっていると感じるのは、日常の中で意識を省略する部分が増えてくるから。本当に没頭してタイムスリップする濃密な時間ではなく、感覚が軽薄になること。

 

残り時間は経っていくだけなのだから、もっと一瞬一瞬大事にしなきゃなと自戒。ある程度はこれにはこれくらいの時間がかかるとか感覚で捉えながら生きているけど、ここはもう少しシビアにしていい。日常生活にかかる時間を短縮させる、というか、もっと満遍なくさせるというか。ということで、休日に平日で使う全てのワイシャツのアイロンがけをしておくとか、もう少し計画を立てよう。時系列上の全自分的楽しさのために。

 

そろそろ服とかも買いに行きたいけど、その日の自分は外れだと思いながら行くだろうなぁ。当たりの見込みは今のところ1日しかないけど、その後の自分は楽しく過ごすだろうなぁとか。まぁ過去の自分とも未来の自分とも交信はできないし、存在するのかどうかも定かではないし。唯一把握できるのは、過去の自分の古文書くらいか。

 

 

うむ。

 

なんとなくすっきりしてきた。ここはすっきり寝るための儀式みたいに考えよう。儀式とかお祈りとか宗教かみたいだけど、硯教の信者だから仕方がない。

 

 

伊坂さん4つ目は、20代に付き合っていたカップルが別れて、英語の先生と先生の授業を受けている高校生の父親として再会して、時空を越えた同じエピソードが繋がるみたいな話。新しいっぽい本は結構ぼやかすという自分ルール。こういう時空を越えた縁も悪くないなと思う。物語としては。

 

 

そろそろ寝よう。

 

おやすみなさい。