信仰みたいな幻想(前)

 

 

三連休の真ん中にアボカドを88円の広告の品に設定するとは、なかなか経営スキルがある。日が落ちてから行ったけどほぼ売れ残りだけど、ギリギリ熟れているのが残っていたから、刻み海苔とオリーブオイルと粗塩の刺身。多分タンパク質も豊富だから、植物性たんぱく源としては大豆に次ぐのでは。

 

そうして本日も月は綺麗。

あまり引力の影響は感じなくなったけど、それと月の魔力は別。

 

時は遡り。

 

久々に夜更かししたのだけど、起きる時間はあんまり変わらなかった。

朝ごはんどうしようかと思ったら、夏に食べていたそうめんが残っていた。内臓をいたわるにゅうめん。和風だしと中華出汁とコンソメを少量ずつでブレンドしてみたけど、普通に美味しかった。具は梅干しと卵。昼は無理矢理食べたから省略。

昼ご飯不要説が信憑性を帯びてくる。休日は食べ忘れるくらいがちょうど良さげ。

 

無理矢理アルコールで食欲をドーピングしている感はある。まぁ、日中は基本飲まないといか飲む気がしないし、どれだけ食欲ドーピングしてもさっぱり太らないという。肉体労働している時も筋肉は付いたけど、とくにフォルムは変わらない。これを体質というとか不健康とか言うけど、焼き肉食べると胃がもたれるし、牛乳も飲みすぎると大変だし、これはもう決まっていることかと思う。食べて太ることができる人は、当人にそういう器があるということでしかない。軽い方が歩きやすいというだけ。

 

夜は、先のアボカドと、肩肉の唐揚げ(ねぎポン酢。

 

ポン酢と言えば、ポン酢買ってきてって言ったら夫が味ぽんじゃなくてまさに名称としてのポン酢、たぶんゆず汁みたなまっ黄色の液体の商品を買ってきて、家庭のことを知らないっていう話がつぶやき場で吹き上がっていたけど、これって、察して欲しいみたいな話でもなく、言葉に対する捉え方とか、指示するときに必要なことみたいなことかと。

 

僕も指示する立場になったことがあるのだけど、本当に行動を求めるなら、相手に分かるように説明しなきゃならないし、そのコストは発話者が負うべきもの。というところで、僕は結構適当な指示を撒いていた。ほんとに致命的なところではこれをしろって相手のことをロボットにしなきゃしょうがないけど、余裕がある領域では、これを言って、どう捉えるかなみたいに、観察する。

 

コストを支払わずに相手の行動を100%期待するのはほとんど悪手でしかない。

それは自分の指示不足でしかないだろうと。

 

ここにあるのは、なんだかよく分からない言葉に対する信仰なのだけど、これは後編にするか。