夜もすがら

 

 

昨日の日記はなかなか酷い。呪詛のようだ。加害者思想というか加害妄想だろうと。まぁ血族嫌悪はしょうがない。ここで民法改正が出てくるところが面白い。改正に携わった学者さんが、婚姻とは人格的性的結合と考えられてきたが、そこから外れるものを排除してしまうことになる。今は、婚姻による諸々の効果を享受するための契約と見るべきだとか書いていて、なかなか好感が持てる。今後同性婚とかも認められるかもしれないなと。これって子供を作れない、作らないと決めたパートナー関係と何が違う

 

専門書に好感なんてないだろうと思うかもしれないけど、合う先生に習った科目は成績が良いみたいなことと変わらない。情報としてはどの学者さんも同じことを書いているのだけど、ニュアンスとか意図とか意思とかで変わる。

 

んまぁ、相続制度とか親族制度とかも変わってくるだろうなぁ。考えない人は制度が出来てしまえば従うだけだから、親族の範囲は狭まってもなんとかなりそう。素朴に何処までが親族かって、おそらく親兄弟くらいではなかろうか。親戚という観念がなくなっても多分何も変わらない。

 

婚姻意思も面白い。婚姻には、婚姻意思と届出が要件。要件と条件は似ているけどちと違う。民法では条件は発生が不確かな事項をいう。要件は、欲する法律効果を得るために必要な項目。

 

そうして、婚姻意思は夫婦生活を享受する意思で、子供に嫡出子の身分を持たせるためでは駄目だっていうことになっていたけどこれも変わりそう。要は、制度を得る為に必要な形式としての意思。

 

ちゃっかり書きながら復習をしている。

 

 

いや、でも、文学は割と天才が作ってきているし、数学もそう。だけど、法学は素朴な人の観念からは逃れられない。素朴な人をルール付ける為にあるのだから。法も人が作ったものだけど、人を規定するのは人ではあってはいけないっていうのが集合知だろうな。何か大きなルールの中で動きたいたいのが人間。

 

 

宝くじがなぜ非課税かみたいな知識とか、簿記の仕分けとかもなんとなく分かってきた。でも、僕は普通に生きる限り知識は必要ない説。料理の時短と同じで、知らなくてもいいと思えることは外注した方が早いので。保険法についてしらなくても保険の効果は享受できるし、こういう文脈に限定すれば、人は知らなくても良いことがある。

 

僕は自分ももっと分解したいし、自分が生きている社会の構造も気になるし、なんなら他人の構造も気になるから、普通じゃない。別にこれを利用しようとしないし。この観念でよかった。

 

普通の人が知識とか力を持ってはいけないっていうのは、自分を正当化して他人を見下す観念になるから。知らない人に対して優位になった気分になれる特攻薬感がある。市販の風邪薬がほとんど意味がないものだと同じように、人に表明できる知識もあまり意味がない。意味っていう意味も難しいけど。意味は相手が勝手に色塗りするものだし。

 

意味論も良く分からない話だけど、人って、自分が表現した現実に対して思い通りに捉えて欲しいっていうのがあるよなと。僕はこの辺りどうでも良いのだけど、あんまりセクハラ過ぎる発言は止めとけとも思うけど、なかなか恥ずかしい発言ばかりしている。

 

 

ともあれ、そろそろ自然不足かなという感がある。紅葉の為に京都に行くかだけど、植物って人の精神性をもろに影響うけるから、京都の紅葉が綺麗かどうかも分からない。実家にあった紅葉の木のが元気だったように思える。紅葉の木でカブトムシが取れる。街頭に集まってくるから。

 

植物は地球で頂点だからなぁ。

 

 

京都に行くか山口に行くか長野に行くかそれが問題だ。肉体的な移動の疲れって、よほどのことがないと睡眠後に残るものではない。

 

 

添い寝で慰撫されるのって肉体じゃなくて精神だし。

 

 

おしまい。