昔ばなし

 

 

 

レンコンと白菜の浅漬け美味しいなぁ。1時間残業だったから早歩きで帰って(歩いた方がやっぱり早く着く)、4科目短答3問を2問にカットして、通常営業時間に戻して。ということは残業ない日にどれだけ無駄しているかという話だけど、ツムツムもしたいし。動体視力の為に。

 

浅漬けのレシピ。レンコンを薄切りにしてレンチン1分。その間に白菜を切って洗いつつ、お風呂の準備をして。」は良いか。味付けは、ほんだしを多め、醤油砂糖塩をちょろっと、そして一番の決め手は七味唐辛子。毎度のご飯再現可能性がないのだけど、今日の浅漬けのバランスは凄い。自分が作った料理は自分そのものとはもはや別か。美味しいと言われてもそりゃそうだろうだし不味いと言われてもそりゃそうかになりそう。文章も似ている。

 

どうでも良いけど、ジムとか教室とか全く興味ないけど、競技かるたならやってみたいと思っている。ちはやふるが面白いからというのもあるけど、競技かるたのワーキングメモリ―

使い捨て感が、定石・定跡の囲碁将棋と違ってなかなか楽しそう。15分で配置を覚えるけど、覚えたものは次の試合では全く意味がないという無情。

 

とりあえず百人一首は全部覚えたいところ。これは個人的な興味なだけ。

 

やれやれ。

 

夢の話。

 

僕は、現実で会いそうな人には夢で逢いましょうとはならない模様。現実に可能性があるうちは夢には出てこない。まぁ結局夢というは直前のインプット情報にかなり重きが置かれている。

 

ということで、寝る間際にスマホにある画像を整理しようと思ったのがなかなかのアウトだった。最近保存したっけかなと勝手に保存したかもしれない眼福すっぴん眼鏡を探したつもりだったのだけど(造形がええなと思っただけだけどある意味変態ストーキングだからここは細かくは語らない、やっぱり可愛えぇ)、なかなか大昔の画像が出てきて。

 

 

歴代の恋人さんと何処かにいったとき、特に画として残す観念がないから、そういう画像は一切残してないつもりだったけど、いっぱい残っていた。僕を一番傷つけて、僕が一番傷つけた、もう交わることはない人。まぁこれには言い訳があって、たぶん熱海か三島のトリックアートの所で画像に残さないと面白くなかったからというだけ。遠近感で大きくなったり小さくなったり飛び出したりのやつ。なんで残っているかは知らないし、厳密に何年前だったかも定かでない。初期は同棲12年の間で別れて3年くらい空いて、そこからまた1年くらいなんだかんだあった後期のことだけど、この人との関わりには記憶の混濁がある。女性の前で泣くことはここから先にあるのだろうかというくらいにねちょねりょしていた。決して癒されたとか安心だったとかではない。欲していたなぁというだけ。これが相手にとっても然りだったろうなと学習したから、恋愛感情を起点とする原動力に疑念出てきたというか、共同生活自体に苦手意識が出てきたというか。

 

まぁ僕とこの人は縁がなかったのだろうなと結論付けているのだけど、画像と間違って動画を撮っていた声も入っていて、凄く柔らかい部分を刺激してくるなぁと。まだ記録にできない部分があるのかいなって。僕が一番傷つけたのに、傷つけたくなかったってなんとも傲慢。もっと大事にできたのになと、後悔でもなく過去の自分に対する怒り、といえるかも定かではない、生々しいのが残っている。まだ好きなのかと問われればそうかもしれないけど、実際逢ったとしても再燃する感情ではない。熱がない化石でしかない。歴史が再現するだけだから。これ以上傷つけたくないわ。

 

当時も洗濯ルートであれば続けていける道はあったのだけど、僕はそれを放棄した。これで最後だよ、本当にいいの?って泣かれているシーンを思い出すと生生しくて泣ける。

 

僕が人間になれそうだった最後の歴史。

 

そうして夢の話に戻ってくるけど、今朝の夢はなかなか酷かった。3時くらいに目が覚めて、ぐだぐだしていたら明るくなって、目に布をかぶせて仮眠を取っていたのだけど、数分毎に夢を見ていた。仮眠だから現実感とセット。

 

これを読んでいる人の中にマザー2を知っている人がどれだけいるかは知らないけど、プーの修行みたいな感じ。具体的には、誰かが僕の部屋に入ってくる音が聞こえてきて、なんか喋っている。1人目は、全く知らない人で、どうやってカギを開けたかは知らないけど、日記で情報を解析したとか言っていた、そして心象風景ではなかなか肥えていてふてぶてしかった。おそらく場所を取る人の表象なのかな。2人目はかの人。合い鍵は返してもらっているはずだけど定かではない。でもそういう人ではなかったから、もう夢として出てくるくらいに非現実の人だということ。

 

もともと自律神経まともじゃなかったのかもなって思い出したのが、幼少期、小学生くらいの時、おじいちゃんちで昼間に寝ていたら、布団の周りに大人数の足音が聞こえてきたことがあってなまなましく怖かったということ。天狗みたいな表象もあった。霊感は0感なのだけどなんか嫌ね。人も怖いけど、空気も怖い。幼少期布団で寝た時に、頭をこっちで寝たのに起きたら反対側だったっていうのが今でも出てきているとかもなかなか怖い。酔っ払いと幼少期って何か近いところがあるのか。

 

そうして、人の歴史とは何ぞやと思った時、記録にできていないか記録にできているかが峻別されているなということ。未来にあるかもしれないことは夢にならないし、夢になるっていうことは人を記録としているか直前の感情のインプットか。

 

僕は人の夢にはいっぱいお邪魔できたら良いかなとは思う。

 

 

ということでおしまい。

 

 

世界が寂しくありませんように。