奇想天外

 今夜の方が艶やかな満月。色合いがしっとりしている。試行錯誤は上手くいっているような、いっていないような。前日に用意するご飯は水分が飛ぶから水量多めに炊くとか、寝る前には意識して力を抜くとか。目を瞑るのに力を入れすぎて涙が出るのもどうにかしないと。早めに布団に入ることはできている。首が痛くなっているのは、「心はなぜ腰痛を選ぶのか」からすれば、精神的抑圧の1段階。いや、単にパソコンに向いている姿勢が悪いのかもしれないけども。とりあえず、平日はぎりぎりまで効率化。どこまでいけるか。そうして土日はちゃんと休むか、ちゃんとするかどちらかで。てきとうに本を読み続けていってもよかったけど、頭がもっと欲しているような。

 そういえば、昨日の日記の記憶は化石だというのはあの瞬間の思い付きで書いた。人物の固定化という印象の流れで。ただ、もっと素朴なところだと、誰もいない深夜の水族館ちっくでもある。そこには孤立した心象風景の動きがあるということ。まぁこういったことは何とでもいえる。映画館で独りモノクロのフィルムを見るとか、なんらドーナツでも良い。ここは今や穴が開いているけど、かつて穴はなかったのだとか。言葉の力はこういうイメージの言い換えだと思う。事実の言い方という面もあるけど、どう言い換えようが事実は事実だろうし、変わるとすれば評価と印象だからあまり面白みがない。大事だけど。

 ともあれ、今日はふにゃふにゃというか、昼以降クエスチョンマークが頭の中に張り巡らされていた。今度はそっちの想像外がやってくるのかいなと。また珍しい人から交信があったのだけど、どうしても理由が分からない。まだ返していないけど、これは返す気がしないというより、あまり早く返すと待っていたみたいだし。実際想像していなかったから待ってはいない。一番は交信ペースを合わそうかなと。相手に合わすのは苦ではない。ただ、なんとなくボールを投げられたらすぐ投げ返さないと、みたいな強迫観念があるのも確か。せっかちな所があるだけかもしれないけど。どちらもあれば良いからこちらも試行錯誤。

 理由が分からないというのは、自分の納得ではなく可能性の話。こういうこともあるだろうなって自分の中に可能性が想定できれば問題ない。けれども、今回はあちらを立てればこちらが立たずというような、なんとも整合性がつかない。別に整合性があろうがなかろうが問題はないけれども、地に足が着かなくてむずむずはする。こういうのは嬉しさの外。有難くはあるけれど、自分の中にそれを受け取る空間がないような。

 なんだか抽象的な話になったので、箸休めにご飯の話。卵を買ってきたから、レンチン目玉焼きと、蕪とワカメの浅漬け。ほんだしと醤油、酢、七味唐辛子。レタスとブロッコリースプラウトのサラダに、鶏モモもやし人参のウスターソース炒め。それと納豆。栄養価も満遍なくできていると思うけど、平日の1人夜ごはんとしては豪勢過ぎるような気もしてきた。もうちょっとスリム化したほうがいいかもしれない。太る食材もないし時間もお金もそんなにかけてないけど、これだけ食べていて良いのかという問題提起。もっと精進料理に寄せていくべきか。

 あと何かあるかな。あぁ、仕事で使う語彙と文章で使っている語彙を合わすと、あんまり良くないなと。仕事は説明のための言葉だから、描写するための言葉を使うと冗長になって効率が良くないような気がした。実際どうか分からないけど、とりあえずしばらく使い分けを意識していこう。説明と描写は同じものなのかどうか。

 そろそろ時間が無くなってきた。お風呂読書のラインナップから仏教の本を外そうかと思っている。仏教の成立史はそれなりに面白かったけど、僕はもっと中身が知りたいから、良さげな仏教の本を探そうかなと。それまでは東洋医学入門と免疫学入門を読み返すか。職場がある駅ビルにリブロが入っているからちょくちょく寄るのだけど、行くたびに読みたい本がある。なかなか品ぞろえが良い。それに少し歩けばブックオフもあるから、本好きには最適な職場。

 今日はここまで。

 

皆さん良い夢を