寒度良好

 Word書いた文章の改行が、貼り付け先によってはそのまま反映されない。別に形を気にしている訳でもないけど、なんとなく嫌な感じではある。改行と一行開けるのでは意味合いが違う。違いは繋がり。間をあけるのもよいけれど、このリズムでは空白は短い方がよい。明日は週末だからまた変わるかも。

 しかし急に寒くなった。お弁当食べに外に出たら、空気がもう冬。ふっゆがはっじまるよー。BGMが頭の中を流れていた。古。人間は暑さより寒さに対してのほうがきっと強い。強さ弱さより、暑いと外界と体温が混じるけど、寒いと自分の体温が良く感じられるところが良い。風邪を引くと自分の体があることが分かるみたいに。布団とも冬の方が一体化できる。僕は体温高いから布団と仲良い期間がある。自分の体温が良く分かる方法はもうひとつあるけれど、これは1人ではできないこと。この方法も冬の方が良い。しかし、文章書くときに手がかじかむようになったら困るな。

 明日は1人鍋をしようと目論んでいる。鍋用の魚が安かったら魚介水炊き良い。豆腐と椎茸と白菜とマロニーとか。全部ストックがない食材だからどうなるかは分からない。明日の夕方の自分の気分に任せる。今旬の魚ってなんなのだろう。鍋の付け合わせってどういうのがあるか。だし巻き卵とか?

 説明のための言葉と描写のための言葉について少し考えた。基本的には混在しているというか、機能として意識的に使い分けることはないというか。自分を観察してみると、雑談のようなものは、自分について描写することがすなわち説明になっているような語用だからそれに合わせて発言しているなと。実際思っていなくてもなんとなくつじつまが合うように言葉を繋げれば疎通は滞りないし、こういう描写は伝えるためにあるものだから、自分が思う実像とずれているのが当たり前なのかなと。

 伝えると説明ではややニュアンスが違うか。相手に捉えられる意味の幅。伝えるではどう捉えるかの主導権は相手寄りで、説明だと、理解を収めてほしい範囲に限定される。でも伝るための言葉って、感情や要求を伝えて相手にリアクションをとって欲しいという語用であれば、説明よりもっと幅が狭いという気もする。ある意味命令に近くなってきそうな。要求は言葉にしようっていう意味だとこうなる。もちろん、命令だとしてもそれに従うかどうかの主導権は相手にあるわけで。ただ、なんらかの関係という背景が含まれると事実上従わないといけないということはあるかも。

 どういうニュアンスで人に対して言葉を扱うかというのも、きっと環境がどういう風に言葉を扱っていたかによりけり。ほとんど無意識下に取得されること。言葉の感覚が合う人は、語彙がどうのっていうより、語用のニュアンスが近いかどうかかもしれない。言葉は意味の伝達だけど、伝達手法はご飯の食べ方とかと似ているのかも。という、ひとまとまりの思考。

 ややかじかんで文章が書きづらくなってきた。特に左手。滞りなく書けないと上手く描写できないな。時間まだややあるけど。そういえば、まだ昨日の受信には返信していない。意味を抽出してみると、大したことないただのいくつかの伝達。背景を探ろうとするからバグるのだろうなと。背景がないということはないと思うのだけど、これも僕がそういう風に生きてきたからというだけかもしれない。まだバグっているか。

 やれやれ。さむさむ。明日は流石にカーディガン解禁しよう。歩いていると温まるのだけど、温まるまでの防寒具。さて、そろそろ寝ようかな。

 

では、皆さん暖かな夢を