拾い残し

ルートを変更して銀杏の絨毯を踏みながら帰った。毎年恒例の民家イルミネーションもついでに鑑賞。電球の綺麗さより、1年間倉庫に仕舞われていること想うと生活だなって。安定は見ている分には安心する。対自分だとなんだか焦燥感だけど。去年の自分とはずいぶん変わっている。去年の忘年会は高級店でご飯は美味しかったけどなかなかしんどかった。今回はチェーン店だけどやや楽しみ。まぁ環境が変わったからでもないか。

 さて、焦燥感。とも繋がっているけど、昨日は日記を書かなかった。なんとなく習慣にしてはいけないと思ってだらだらしてみていた。それで書く時間を確保できなかったというのもあるけど。焦燥感は、今日の日付を意識して、このままじゃ日常に溺れそうという息苦しさのこと。まぁ師走という月も重なっているのだろうとは思うけど、それでも、自分の進捗具合を見るにつけなかなか。合格点なんて一生あげないから満足はないけど、焦りはいけないなぁと。

 生活と日常の範囲は一部が重なった円のようなものだろうか。意識しなくて良いことみたいな概念も含まれていそう。無知の塔に1冊追加された、読みかけだった本。岩波現代選書の「共通感覚論」では常識が問われているのだけど、生活と日常は常識の糧のよう。常識とは社会知みたいな話と、常識はもともと五感の根元にある近くを繋げる共通感覚という話と、どう繋がるのだったか。広辞苑的な意味の共感は感覚の一致か。まだあんまり読み進めていないからのちほど。

 日常に溺れそうっていう感覚は意識しなくて良いことが増えることへの危惧。世界を意識的に捉えようとする瞬間に自己意識がある訳で、自己意識が薄くなることは変化が受動的になるということで。ただ、一生を暇つぶし的に過ごすならこちらの方が時短になるかもしれないという気もする。ついでに、時間の流れも外界を全く意識しない状態と、好奇心満載の幼少期と、どちらの1日が短いのかもわからんな。まぁこの2つの状態を同時に過ごすことはできないから比べようもないけど。

 1日を日常でなくすためには、今日あったことをどれだけ再現できるかということにあるのかないか。でも自己意識を引き延ばしていくと、自分の切れ目が睡眠しかなくなってさらに、睡眠後も再現できるようになったら人間には今しかなくなる。ヒトがどこまでここに近づけるのだろうということは気になるところ。これと量子論の観測者的観点を足すと、時間は人間が創作した概念だからこの先化学技術が発達してもタイムマシンは完成しないということになるのか。でも技術的には視線と合わせたカメラをつけて音も拾えば1日の視覚と聴覚は再現できそう。

 何が言いたいのか分からなくなってきた。どうでも良い進捗具合だけど、やっと2次方程式の解の公式を自分で導出できるようになった。高校で習った時は答えだけ暗記していたけど、過程の方が面白かった。多分他にも出し方あるのだろうけど。脳内ノートに数式を書くのはまだまだ修行が足りない。これが特に意味があるのかと誰かに聞かれたら(聞かれないだろうけど)、全く意味がないって答える。ただ、個人的に自分は無駄なことの積み重ねでできあがっていると思っているから、ただの自分のためのご飯のようなもの。食べる必要もないからおやつか。

 自己意識の引き延ばしに効用があるとすれば、自分が捉えた外界をもう一回頭の中で映像化なりイメージ化して反芻できる量が増えること。自分がその時印象的だと感じたものだけでなく。まぁこれも何か意味があるのかというと微妙なところ。頭の中が騒がしくなる。本を読んでいるときは静かだけど。記憶力が向上したのかというのも微妙。ちゃんと過程まで考えたことしか血肉にならなくなったから、ある意味手間が増えたともいえる。

 なんだろうな、なんとなく無限ループ感がある。日常を少なくしようとすれば日常でないことが増えてそれが毎日になるだけで、結局同じことみたいな。言葉遊び。

 そういえば、帰りに改札を通り過ぎたところの駅ビルと繋がっている歩道橋の端で拾って駅員さんに渡した社員証風のカードはちゃんと持ち主に届いただろうか。帰宅ラッシュで気付いた人はいくらでもいるだろうに放置されていた。本当に見えなかった人も多々いるだろうけど。僕も惰性だったらスルーしていたかもしれないけど、意識に引っかかって良かったと思う。別に善意でもないし、拾わなかった人が悪いと思わない。ただ、動いただけ。こういうことが下心なく反射的にできるように調整したかっただけで、調整は上手くいっている。ここで言う下心は自分が良いことしたなって思う満足も含まれるとしている。良い人に見られたくないからしないっていうのもある意味下心。いったい何を目指しているのだという感じだけど、僕は僕になりたい。知らんけど。

 ここまで。徐々にひと息で書ける文量も増えてきたような。当面2000字を目安にしよう。では、おやすみなさい。

 

 良い夢を!