どこまで考えるか

 

 

 

考えるとか感じるとか、厳密に考えるととてもめんどうだ。自分の卑屈さについて考えていた。残った埃なのか、本質なのか。

 

 

さておき。エンパスについて。敏感すぎる人のこと。立ち読みしてみたけど、なかなか確かに当てはまる。ちらっと今ネットで見ると、日本人の5人に1人だとか。自然が好きとか、人混みが嫌いとか、人から感じ易いとかおおまかな傾向で括ればまぁそれくらいの割合はいそうな気がする。ネットの記事の感じだとこれを良いことのように捉えて、エンパス能力を発揮するには、とかで占星術とかが書かれていた。

 

立ち読みした本の方は、この体質でしんどい人向け。敏感に感じるということは、良いことばかりではないたぶん、ここの本質は、エネルギーを吸い取るタイプの人と接すると通常に

戻るのにかなり時間を要するという部分。他のところは多分副次効果みたいなもの。

 

エンパスはサイコパスの反対だっていうフレーズもあったけど、僕はそうは感じない。感覚の範囲がこの傾向を持たない人とは違うだけ、相手の感情が手に取るように分かるなんてことはなくて、ただ、自分の意識の範疇がここまであるというだけで、その瞬間瞬間に相手の存在があるからどこを基準にしたら良いか分からないだけ。まぁこれだけで疲れるけど。

 

あと、自分の基準が良く分からないという傾向もあると思う。僕はこの性質のおかげでこうなっている。人混みは割とどうでも良くなったし、他人の感情の機微も情報として挙がってくるけど、どうでも良い人のことは特に気にしない。おそらく客観的評価が自己肯定感のポイントにならないというところも重度のエンパスなのかも。他人の感情が自分の感情のように感じるのはまだ軽度だと思われる。この辺りはどうでも良いかなという感じ。

 

僕の読み手としての視点の原初はここにあるのかしら。この中にもどうやら自分が居るだろうなということで探っているけど、あんまり手応えがない。手応えとしては自分の感情も割と俯瞰できること。これは感じやすさを鏡にして捉え直していくとこうなる。なんだか他人と接していて自分が自動処理で振る舞っているなぁと常々思っていたのは、自分に価値がないということではなくて、単にそういう自分だったというだけなのかもしれないなと。

 

立場とかがあるから本当に思っていることを言えないじゃなくて、その時は本当に思っていない。他人に合わせる極地みたいな存在。たぶん僕と接する人そうとう気持ちいいのだろうなと思う。別に男女関係なく。凄いは本音の時の方が多くなった。可愛いはほぼ本音。合わせてないし。好きは合わせるためには全く要らない言葉。ということでこの辺りに自身の観念というノイズが生じた。

 

だからほぼ1人になった。ほぼ1人になって思うのは、進行形で世界は鮮明になっていくぁと。もともとこんな傾向だったとは観察できないのだけど、いつからだろう。転換期は分からない。だからを重ねるけど、これが僕の本質とも決めかねるというか。

 

どちらかというと、本質はサイコパス寄りな気もする。悲しんでいる人が居れば、その悲しみは貴方にとって固有で希少なものだから大事にした方が良いとか不謹慎に思う傾向もあるし。誰かの自分のもののように感じるっていう言葉からして、相手のものではないし。この意味での感じ易さは結局のところ自分の感情が肥大しているだけかと。

 

捉える感覚器官があることと、感じるは別物では。

少なくとも僕は分けている。相手の感情を察するとか自分には全く影響を及ぼすべきものではない。

 

そうして、AIの話。

 

AI開発者から見た人の思考はとても美味しい。

思考は取締役だという例えはなかなか秀逸だった。だいたいの当たり前の世界は、感覚器官とか習慣とか無意識が勝手に処理しているから、意識の俎上にあがってくるのは、そういう今までの集積では処理できない重要な物事だけ。

 

ここからすると僕の思考回路は、うるさい取締役みたいなもの。いちいち当たり前で景色として流す出来事を、下っ端がどう処理しているかを観察している。

 

そうして、よくよく読むと、AIの学習工程まで自分を落とし込んでいるなぁと。
人間はだいたいのことは幼少期に学習し終わっているから、そこまでに出来上がったのが自分としているけど、僕は自分のここはどういう風に学習してきたのはどういう工程があったのだろうってことを考える。

 

やっぱりカントさんは慧眼で、思考の前には直観とか感覚があって、それを意識することをしなければいけないと言っている。ただ、経験的な感覚から完全に離れたところに純粋な直感があるとするのはどうも納得できない。この先験性って、自意識が芽生える前の、幼少期の学習ってことなのかなぁ。そうなら分かる。自我が芽生える前に、世界の枠は学習されているようだから。

 

 

自分の卑屈さを考えるつもりだったけど、時間切れか。

自分のことを書いている分には誰も害さない。

 

では、皆さんが自分を確立していますように。

 

おしまい。