感性

 

 

 

劇評メモ。「繋がり」「神様気分良い御身分」、「祈りと遊び」、「価値観のねじれ」「光と影」

簡易版は後で。

 

 

さておき。

 

本日は昼前に髪を切りに行った。いつもより少し長めに切って、ワックスもつけて貰った。なるほど、こういう風にセットするのか。何故か電動自転車の話題で盛り上がる。乗ったことないのに。まぁ、坂が坂道多い街だからそうか。そういえば、また家を出て4分くらいで財布を忘れていることに気付いた。記憶がやばいということではないと思われる。

 

そうして、昼から京都へ。だいぶ早めだけど、出町柳からぷらぷらすれば時間は潰せるだろうと。感染対策で伊達眼鏡とマスク装着して。眼鏡は好きだけどしんどい。あぁ電車に乗る前にもちろん小説を1冊買って今日読み終わった。小説の話はまた後で。

 

そうして出町柳に着いたら少しだけ雨が降っていた。そこからひたすら歩く。商店街の古書店で補給しようかと思ったけど、歩くときは身軽な方が良い。京都御所という広大な敷地があるし。時間の流れをカットして最終的に晴れたのだけど、鴨川沿いから北の山がうっすら白くなっているのを見て、あぁ、あっちでは雪に成ったのかと。

 

京都御所は、去年もこの時期に行っていたらしい。梅林を見た映像が脳内に保存されていて初めて気づく。歩きながら、ここも歩き潰している、ここもここもって時間が凝縮される。時間の凝縮の意味ってあまり分からないだろうなぁ。

 

梅林を見た時に、そういえば、想い人の生活圏かもなぁって鴨川下りながら考えたことを言語化して送ったのが去年とか信じられない。普通に考えると気持ち悪いはずなのだけど、なんでだろう。

 

京都御所は敷地がやたらと広くて空間が間延びする。自分が空間において占める場所がどれだけ小さいかを自覚できる。にも拘わらず、京都御所のどこをどこまで歩いた自分の時系列の空間を考えるとどんどん大きくなる。なんという矛盾。

 

それでは劇に戻ってきて。

もしかしたら想い人がいるかもしれないと思って行ったのだけど居なかった。それはそれで問題ない。唯一知っている人としては、前の時にも居たやや大柄な人。この人がきっと企画の人なのだろうなと思うけど実際は知らない。

 

あと、時間の凝縮論だと、会館に入って待っていたら、前の演劇を観ていた人が出てきていて、その中に、前に劇評書いた演劇の俳優さんが居た。沼田さんとかそういう役割だった人。ちゃんと見た人はちゃんと忘れない。ひたむきな星屑見たのが何処かは定かではないけど。

 

そうして、劇評の前の簡略版。

 

最初、正味、あ、これ書けないかなと思った。人はやたら多いのだけど、なんだか空気が内輪だし、観劇者と一緒に完成させる観念もいや、僕は傍観者で良いのだけど。それでも一応の筋は考えられたから大丈夫。

 

一回しかないからネタバレとか考えなくて良いから、ここに書いても問題ないのだけど。

 

ただ一回しかないんですって観客に対する媚びを作品に入れてしまうことがなんとも大衆的だなと思って、相性悪いなと。こういう作品に対する劇評なら、自分出して良いだろうなと。もちろん一応仕事だから、ちゃんとうまく書くけど。演出家も人に寄りけりなのかね。

 

舞台設定としては現代日本からの並行世界だけど、どれだけ練っているのだろう。有名かどうかは関係なくて、僕は僕でしか世界を捉えられないし。

 

これは単なる好みの問題。ここの劇評は主語は僕で良いかなという感じ。宣伝ぽく書いてほしそうな感じ。

 

毛穴は広がったし、最後は泣きそうになったけど、手法の話。

今日出演していた人たち、たぶん他の所で見たとしても気付けない。あえてそういう風に創っている節もなくはないけど、僕の好きな味ではなかった。

 

なんだか、自分の根っこに対する衝撃は無かったし。鳥肌はちゃんと立ったけど。踊りと音楽の完成度は高かった。

 

やはり、メインは明日というか今日。

 

では、皆さんが暖かく過ごせていますように。