こうかん

 

 

世界がとても静か。これって良いのかな。ちゃんと劇評のデータ送れているのかだけが気になる。

 

そして素面で書いた自分の文章に対して恥ずかしさを感じる。調子に乗りすぎたかもしれない。しょうがない。こんなに羞恥心感じる人物だったかなと思うと、大阪来て独り暮らしの部屋で友達と飲んで酔ったとき恥ずかしいって連呼していたな。そういえば。人格の開示に対しての羞恥心。ここのところ開示しすぎていているということか。良き傾向ではある。とんちかんの開陳。

 

さて。明日からのシフトに備えて百均で保蔵容器を用意して常備菜2品作った。ほうれん草の胡麻和えと、玉ねぎの酢漬け。どちらも実家から送られてきた野菜なのだけど美味しい。特に玉ねぎが上の方はネギとして使えそうな形状な癖に甘い。米酢と塩とオリーブオイルだけ。でも、無駄に大量なのはやや困る。発掘してみたらキウイが7つ入っていた。誰かと共同生活しているとでも思われているのだろうか。キウイは常備菜にできないし、ブロッコリーは花が咲いていた。食べたくないものを食べさせられるってかなり強度な拷問よね。気持ちは理解できるけど、結局捨ててしまう量が増える。

 

常備菜作って見たのは良いけど、そもそも弁当持って行く必要あるのかと思ってきた。11時に家を出れば間に合って、休憩がだいたいおやつの時間だから家出る前に食べればあとは夜ご飯だけで良いような。帰ってからの時間の使い方から考えると常備菜の意味はある。お酒さえ飲まなければどんどん勝手に健康になる。休憩時間はパン1個で良いな。興味はなくても口に入るものは体への必然的影響源。

 

良かった。届いていたらしい。

担当の人も忙しいそうだから、これくらいのラグは規定値。

 

ところで。三連休で何処にも行かないのも嫌だから、本屋に出かけた。道中の梅が綺麗だったから万博記念公園衝動がふつふつと沸いたけれど、やはりあまり人ごみには出かけたくない。検査に時間かかるのが困る。行かなきゃならないなら当然行くけどなるべくというだけ。予防なら免疫強化した方が効果ありそう。でもつぶやき場でも見かけたけど、中国では新型よりインフルエンザの方が毎年人を殺していると専門家の人が言っていて、まぁそうだろうなと。

 

そうして、本屋さんではめぼしい免疫学の本が無かった。医療系のところでもそういった本が皆無。この本屋さん好きだったのに、なんだか僕好みから見ると劣化してしまった。法学の本も資格試験の予備校本に侵食されてしまったし。

 

本格的な本の話の前に。

 

駅に着いて煙草を吸いに喫煙スペースに行ったら、懐かしい人を見かけた。院を卒業した後のあの人に振られてぼろぼろの精神状態のときにバイトしていたカフェの店長。もう10年近く前になる。生きていて何も変わってなさそうで良かった。声をかけないのが僕クオリティ。まず迷惑ではないか、当然忘れられているだろうというというのが懐かしさより先にくる。このバイト先は新大阪駅構内の改装で潰れてしまったのだけど。

 

この人とは良く話していたなぁと、しみじみ。プライベートな雑談一切なしに、AIとか哲学とかの話を語り合っていた。だから個人情報全く知らない。店員さん達からは嫌われていて、何をあんな奴と熱心に話し込むことがあるのだって言われていたけど、適当に受け流していた。嫌う理由が、ワキガが臭いという中学生レベルなことが源だったし。嗅覚情報はとても直接的なのは分かる。ただ、密着して体液を交換することになるパートナー選びなら分かるけど、単なる同僚にこれって行き過ぎ臭い。なかなかぎすぎすしていた職場だった。僕もウイスキー飲み過ぎて遅刻するとかむちゃくちゃやっていたし。悪口の宝庫だったなぁ。

 

ただ、店長だけは個人的な本の世界に影響を及ぼした人だから勝手に残している。この人が話した言葉もおもしろくて。一瞬、それだけ広く考えられるなら店員達とも和解できるのではと思っていたのも想い出した。利用しようともマウント取ろうともしなかった人。年齢でどうこうとか経験でどうこうとかそんなのなくて、ただ純粋な会話。今思えば居場所がない者たちの語らいでしかなかったのかと思うけど、こういう会話ができたことってあんまりない。

 

今の職場にはそういう会話ができそうな人が居る。自分が薄いのか濃いのかはっきりしろという感じだけど、濃度高めで接することができるかどうかって僕を対象にしている相手に依るよなぁ。想い人に対して何故開陳しているのか。別に開示を許されている訳でもないのに。そろそろ気持ち悪いって言われるかもって出会ってからずっと思っている。

 

本に戻ってきて。

 

岩波はやはり凄い。哲学本で起源の話。何故ユダヤ教が生まれたかとか。社会構造を交換関係で捉えて、A~Dまである。とても面白い。どんな思想も歴史的な背景がないと生まれない。僕は思想とか信念とか呼べる自分の軸がある訳ではないけど、個人レベルでも一緒だろうなと。何かの為に何かをするという行動形式がまさにそう。ここにはきっと交換の精神がある。現実的な対価であれ精神的なものであれ、だいたいの物事は自分に利益があるから行われるもの。

 

軸なんて自覚しなくても勝手にできあがるのに。

 

宗教に対して胡散臭いって考えている人は多いと思うけど、何を信じているかで捉えたらだいたいの人が胡散臭いと思う。というか、正解なんてないのだから、どれを選んでも胡散臭くて、単なる程度問題でしかない。自分が信じているものが正しいと思うなら、それを持続する信念が必要になる。

 

あと一冊。

 

ハヤカワ文庫さんは新刊逃したら次いつ出逢えるか分からないから、小説を追加してしまった。小説枠でも4冊並行。物語は全く混じらないけど時間の設定がやや大変。絵画とか嗅覚に繋がっていて、必然的だとは思うけど。小説に感想文を書くことって結構無粋だと思う。外のことではない訳で。

 

最後。

 

設定って、現実的にも大事。だいたいの人は決めてくれるから楽なのだけど。僕も決めないし相手も決めてくれないということになると、自由が錯綜するよなって。馬上の使者に立候補しても良いのかなとか。

 

では、寝よう。

 

良い夢を見られますように。