悠長

 

家で財布をなくした。弁当食べるための時間もないから休憩中に帰って探すかと思い、部屋から100玉を拾って出勤。気温が高いから上着要らないなと帰ったら部屋から100メートルくらいで上着に部屋の鍵入れいてたわと、引き返す。ただ散歩をしただけだった。当然ご飯もなし。

 

とてつもなく阿呆だけど、自分だけにしか関係ない部分だから特に気にしていない。プチ断食になったし、あ、そうそう。少し先走った土筆も見つけたのでむしろラッキー。あの土手毎年生えっぱなしだけど、土地の所有者は調理法知らないのかな。確かに笠を取って水に漬けて、甘く濃く煮るのは面倒だけど。僕が春も好ましいと思えるのは花粉症ではないからというのもあるだろうなと、隣の人がしんどそうなのを見て思う。

 

財布は帰ってから探すとすぐ見つかった。シフト的にはなんとなくちょうど良い時間が分かった。最終的には0時に寝て6時半に起きればどのシフトにも対応できるのだけど、そこまできっちりすると逆に精神衛生上良くない。遅番の時は、朝余裕をもって起きてご飯を食べる前に法律系の本を読んで、きっちりご飯を作って食べる。明日は豆苗の味噌汁が食べたいと思っている。常備菜も徐々に増やそうかな。たまねぎの酢漬けが想いの外美味しい。大葉の醤油漬けも作ろうかなとか。あーキウイとみかんを食べるタイミング、、、。誰か食べてくれないかな。

 

夜は帰ってすぐ食べてお風呂に入って日記を1時間書いて寝る。明日は8時までには置きたいところ。

 

割と不眠症の気があったはずなのにいつの間にか安らかになっている。アルコールも入眠とは関係ないところに置かれていた。寝るためというより文章ブーストみたいなところがある。そして味のため。ちなみに今日は素面。

 

安心感というのはどこから来ているのかというと分かり切っている。反動としてどうしようもない切なさみたいな衝動が起こることはあるけど、これもなんだか欠けていることを実感することがとても貴重だなぁって。なんだろうね。とても生身である感覚。悲観的空想も一部。ありがたや。交換できているといいのだけど。

 

個人的日常への焦燥もほとんどない。楽観的に過ごしているわけでもなく、ただ淡々と毎日積んでいるだけ。積む量がちょっと足りない気もするけれど、GWもあるしなんとかなるはず。どうでも良さという観念が思考の材料にするためのキーワード。どうでも良くないことは使うには重すぎる。

 

さて。お風呂読書の話。

 

宗教の起こりのところで、倫理的預言者と模範的預言者というのが出てきた。三大宗教でいうと、イエスムハンマドが前者、ブッダが後者。そうして神の委託者として人に服純を求めるのが前者で、自分を模範として宗教的な救いの道を示すのが後者だとか。個人的に仏教観が好ましいのはこういうところ。もっと面白いのは、これを宗教の教義として見るのではなく、何故社会的にこのような思想が生まれたかを考察していくところ。脱呪術化という言葉が良く出てくるけど、あんまり分かっていない。歯ごたえがある本だ。

 

歯ごたえあると言えばプログラミングの本。専門用語満載でさっぱり分からなくなってきたから、少しずつ進めるのではなくて何回か言葉を追うだけにした。飽きると困る。読み進めていって最終的に何ができるのかというところが分からないと具体的なイメージがつかない。

 

物語枠は結局今4冊か。詩はまた別で悪の華ももうちょっと。詩の枠は次何にしよう。宮沢賢治か、ルバイヤートか、演劇も気になる。水滸伝ももう終わる。続編で楊令伝があるみたいだけど、しばらく歴史小説は良いかなぁ。赤青本も定期的に読み返したいところだし。

 

なんだか今日はあんまり考えてないな。新規の生活リズムに適応するために思考が抑制されていたのかも。いつも1回目はポンコツからしょうがない。明日はもう少し考えよう。

 

皆さんの免疫作用が大いに働きますように。

 

(夢で逢えますように)

 

おしまい。